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Posted by TI-DA at

国場君れき殺事件50年の節目に考える

2013年02月28日

 今日(2月28日)は、1963年2月28日、那覇市の国道上で当時上山中学校1年生の国場秀夫君が信号無視の米兵運転のトラックにれき殺されて、50年の節目である。あの日から半世紀が経ったのか・・・。

 国場君れき殺事件は、同年5月1日の軍法会議で無罪判決が言渡された。
 当時、私は前原高校2年生から3年生に進級する頃で、事件発生から無罪判決宣告までの過程を、アメリカの直接軍事支配への怒り、警察権も裁判権もなく、ウチナーンチュの基本的人権が保障されず、不条理な「無罪判決」に怒った事を覚えている。
 高校生ながら大変にショックを受けた事件であった。

 国場君れき殺事件に対するウチナーンチュの怒りの記憶が爆発したのが、1970年の「コザ反米暴動」事件へ発展したものと考える。
 時を経て1972年に弁護士登録をした私は「コザ反米暴動」事件の弁護団に加わり、1995年に参議院議員当選いらい今日まで、不平等・不公平な日米地位協定の全面改正を訴え、復帰後も多発する米軍人・軍属の事件・事故を告発し、闘い続けている。

 正直、国場君れき殺事件から50年、沖縄の現状は本質的に変わってない。米軍人・軍属の相次ぐ事件・事故の背景(背後の壁)に日米地位協定が横たわっている。
 1972年の「復帰」後、歴代政府は沖縄側からの日米地位協定改正要求に対し、「運用改善」で済まそうとしている。一番悪いのは、日本政府の態度だ。この間、アメリカに対し日米地位協定改正を交渉のテーブルにのせようとしない。

 時の政権は、常に沖縄に不条理・差別・犠牲を強要して自ら恥じないのだ。沖縄にまともに向き合うことなく、思考停止状態の対米従属ロボットだ。
 本当にワジワジーする。

2月28日 13時50分

  

Posted by terukan at 13:52

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