社民党

金大中元韓国大統領夫人との面談

2013年09月12日

 9月9日から9月11日まで、久しぶりにソウルを訪問した。訪問の主たる目的は、韓国で長年国会議員を務め、大統領選挙にも立候補した事もある権 永吉(クォン・ヨンギル)氏が理事長を務める「権永吉と共に良くする生活と世の中」の社団法人出帆式への参加であった。

 今回は、初めて金大中元大統領の李姫鎬(イ・ヒホ)夫人との面談が実現した。ソウル市内のご自宅に案内を受け、短時間ながら秘書官らを交え、親しく歓談する機会を得た。

金大中元韓国大統領夫人との面談

金大中元韓国大統領夫人との面談 金大中元韓国大統領夫人との面談

 私が弁護士登録をした翌年の1973年8月8日、金大中氏が東京のホテルグランドパレスから韓国中央情報部(KCIA)によって拉致された。その拉致事件が沖縄でも報道され、私は市民団体の仲間と嘉手納基地第2ゲート前で抗議集会を開き、一日も早い救出を呼びかけた。
 その時に一緒に声を挙げたのが、現社民党県連書記長の新田宜明県議である。当時は、二人とも政治家になるとは夢にも思わず、一市民として金 大中氏救出行動に立ち上がったのである。
(2006年7月26日 韓国政府は金大中氏拉致事件が、KCIAの組織的犯行であったことを認めた。)

 金大中氏は、1971年の大統領選挙で、現職大統領のパク・チョンヒに97万票差で敗れた。ところが、パク独裁政権は、民主主義回復を求める金大中氏に危機感を抱き、大統領選挙後、金大中氏の乗る車に大型トラックを突っ込み3人が死亡、金大中氏も腰と股関節を負傷した。KCIAによる交通事故を装った暗殺工作であった。

 東京のホテルグランドパレスで拉致された金大中氏は、5日後に自宅前で釈放された。その際の記者会見で語った言葉が「暗闇の中でも、尚、明日の日の出を信じ、地獄の中でも、尚、神の存在を疑わない」である。
 獄中生活6年、10年以上の自宅軟禁と亡命生活を強いられた金大中氏は後に大統領となり、1998年1月8日、日本の国会で「和解と共存への道」と題する歴史的演説を行った。
 私も1995年7月に参議院議員に当選しており、議場で臨場感を持って演説を聞いた。

 今回、初めて直にお会いした李姫鎬さんは、数え年92歳ながらとてもお元気であった。毎週火曜日は、夫・金大中氏のお墓参りを欠かさない、と聞いた。お家の玄関には未だに「金大中」「李姫鎬」の表札が掲げられていた。

 びっくりしたのは、花が好きだったという自宅庭に、サルスベリの赤い花が咲いていたことだ。偶然、我が家の小さな庭にも一本のサルスベリの樹があり、赤い花を咲かせている。

 李姫鎬さんからは、金大中氏がデザインしたという一本のネクタイを贈られた。臨時国会ではこのネクタイを締めて頑張ろう。

 9月12日

金大中元韓国大統領夫人との面談

Posted by terukan at 13:52
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