社民党

博治から 博治へ ―その11

2017年03月21日

 3月18日午後8時頃、山城博治が保釈され、那覇拘置所から身柄を開放された。 博治の釈放は、昨年10月17日の逮捕いらい実に152日ぶりだ。シタイヒャー、ヒロジ!(やったね、博治!)

 釈放に先立つ3月17日、博治を含む3人の仲間の第一回公判が那覇地裁で開かれた。博治は、起訴された威力業務妨害、器物損壊罪についてはその外形的事実を認め、公務執行妨害と傷害罪については否認したうえで、起訴事実の全てについて行為の正当性を主張し、無罪だ、と罪状認否した。

 逮捕直後は名護警察署、起訴後は那覇拘置所での接見禁止付き勾留の間、私は弁護士として毎週1回以上博治と接見してきた。博治を励まし、健康管理に努めるよう口やかましく言い、家族や市民運動団体とのパイプ役に徹した。
 同郷の博治とは、長年の友人・同志として、前原高校の先輩後輩として、弁護士の立場を越えて接見室で語り合った。その様子は、博治の健康状態を含め、このブログで書き綴ってきた。ブログを読んでくださった多くの方々から博治への激励があり、その逐一を接見時に博治に伝達してきた。

博治から 博治へ ―その11
(上)釈放直後の記者会見にて=18日午後9時すぎ、自治労県本部、(下)即時釈放を求める集会にて=17日午後6時すぎ、県民ひろば
博治から 博治へ ―その11

 さて、3月17日の第一回公判終了後に弁護団が申請した博治の保釈請求を那覇地裁は許可した。
 ところが、那覇地検が準抗告する。3月18日午後6時頃に福岡高裁那覇支部が準抗告を棄却、その日の午後8時過ぎに博治は那覇拘置所を出た。
 「ヒロジ」コールで出迎えられると、家族や支援者と抱き合い、肩を組んで闘争歌を唄い、カチャーシーを舞った。実に博治らしい釈放歓迎集会となったようだ。
 博治の第一声は「一日千秋の思いで待っていた。皆さんと再会できて、こんなにうれしいことはありません」。それから、家族や県内外、国際社会からの大きな支援に感謝を述べた。

 その日の午後8時50分から釈放を受けての記者会見があり、私も同席した。元気な姿でやってきた博治の頬を両手優しくさすってあげた。
 
 記者会見に臨んだ博治は、昨年10月17日の逮捕時に履いていた泥のついた長靴に、ジャージ姿という風変わりな恰好だった。
 会見では「意思を曲げず(屈せずに)、気持ちを整理し、日々を送れたのは皆さまのおかげ」と支援者に感謝し、公判では「無罪であること、沖縄の正義を訴えていく」と力強く言い切った。

 私も一言求められたので、次のように述べた。
 「今日は嬉しさよりもホッとした。接見の度に博治には、体調管理に徹し、狭い独居房でも運動するよう勧めてきた。『お前が健康を損なえば、国家権力の思うつぼ』と口酸っぱく言ってきた」。今後は「弁護団とともに起訴事実の外形的単純評価ではなく、堂々と行為の正当性を主張し、無罪を勝ち取ろう。その日が来たとき、私は腹の底から喜べる」

 博治の152日間の長期異常勾留は、ウチナーがウチナーンチュの人間としての尊厳を賭けて平和創造の闘いを進めるうえで、権力に抗って沖縄を生きる深い意味を、博治が身をもって体現したものだ。

 辺野古新基地建設反対の闘いにおいて、博治や私たちが凶暴な国家弾圧に屈することは今後もあり得ない。

 私のブログ「博治から 博治へ」を読んで、たくさんの励ましをいただいた皆さんに心から感謝を申し上げます。
 ただ、博治の釈放は、小さな一歩にすぎません。無罪を勝ち取るまで自立する連帯を寄せ、ご支援ください。
 これからも一緒に闘いましょう。

博治から 博治へ ―その11

3月21日 11:00

Posted by terukan at 12:01
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