社民党

「復帰」45年。ヤマトとウチナーの深い溝、高い壁は越えられるか

2017年05月15日

 今日(5月15日)は、沖縄の「復帰」45年の節目の日である。本稿の書き出しに「日本復帰45年」とすべきか「本土復帰45年」と記すべきか、一瞬迷った。
 地元紙や中央紙などのメディア報道は「日本復帰」と「本土復帰」の表現に二分されている。結局、どちらの表現も腑に落ちないので「復帰」とカギカッコにした。

 45年前の「復帰」の日、私は激しく降る雨の中、那覇市内の与儀公園で開催された「ギマンの復帰を糾弾する県民大会」に参加し、集会後のデモ行進にも参加した。開業2ヶ月の新人弁護士であった。

 昨日(5月14日)、5.15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター主催、フォーラム平和・人権・環境が協力して開催された「5・15平和とくらしを守る県民大会」に参加し、連帯挨拶をした。

 「復帰」45年、ウチナーの何が変わり、何が変わらなかったのか自問自答した。45年前の「復帰」の日には全く予想だにしなかったが、1995年7月いらい国政の場に身を置く立場になった。
 はっきりしているのは、「基地沖縄」の実態は何も変わっていないことだ。「復帰」後45年経った今日まで、歴代政権によって基地負担の犠牲と強要は続いている。その結果、米軍人・軍属らの事件・事故により、ウチナーンチュの基本的人権と人間としての尊厳は著しく毀損されてきた。

 諸悪の根源たる膨大な在沖米軍基地の存在は、ウチナーの平和を破壊し、ウチナーンチュの暮らしを丸ご破壊し続けている。そして、巨大な米軍基地と軍人・軍属は日米安保条約や日米地位協定などのいわゆる「安保法体系」に守られ、「憲法法体系」を侵蝕し、ウチナーンチュを含む日本国民を脅かしている。

 だが、「復帰」45年、歴代政権はウチナーンチュを憲法上の国民として保護することはない。ご都合主義的に「ウチナーンチュときどき日本人」として扱っている。許せない。
 しかも、今また国家権力を総動員して、米海兵隊がイクサ(戦争)をするためだけの辺野古新基地建設を強行せんとしている。

 もちろん、沖縄に連帯するヤマトや国際社会の連帯は広がり、深まりつつある。しかし、圧倒的多数の国民は、オキナワんい対し無知、無関心、無理解だ。残念無念。

 それでも、ウチナーは闘い続ける。琉球王朝いらいのウチナーの歴史、伝統、文化を武器に、しなやかに、したたかに非暴力抵抗闘争を続ける。この45年で、在沖米軍基地が経済発展の最大の阻害要因であることに県民は気づいたのだ。

 「ウチナーの未来は ウチナーンチュが決める!」
 
 私の政治信念だ。ヤマトとの深い溝、高い壁を143万県民と共に乗り越えるべく、頑張るつもりだ。

「復帰」45年。ヤマトとウチナーの深い溝、高い壁は越えられるか
14日午前=名護市瀬嵩の浜
「復帰」45年。ヤマトとウチナーの深い溝、高い壁は越えられるか

5月15日 18:30

Posted by terukan at 19:02
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