社民党

8月13日と8月15日

2017年08月17日

 8月13日と8月15日、もちろん直接的な脈略はない。だが、間接的な脈略はあると思う。

 今年の8月13日は、2004年8月13日に米軍普天間基地所属の大型ヘリが沖縄国際大学に墜落、大破炎上してから13年目であった。
 13年前のあの日、私は新里米吉県議(現県議会議長)と一緒に、伊波洋一宜野湾市長(言参議院議員)の訪米報告を聞くために、市民会館に向かっていた。ところが、着くやいなや「沖国大に今しがた米軍ヘリが墜落したらしい」と会場が騒然としており、すぐさま沖国大へと向かった。

 墜落現場は、すでに米軍の”支配状態”にあり、交通規制が行われ、近づけなかった。県警や大学関係者、マスコミも立ち入り禁止にして事故処理がなされていた。
 やむなく新里県議と二人、可能な限り現場に近づく形で事故現場を現認視察した。現場で事故処理にあたる米兵らに抗議のシュプレヒコールを上げたことも鮮明に覚えている。同時に、不平等・不公平な日米地位協定によって、わが国の警察権や捜査権が奪われていることに歯ぎしりした。

 沖国大ヘリ墜落の一瞬から13年。この間、「世界一危険な」普天間基地には米海兵隊の欠陥機MV22オスプレイが強行配備され、危険性は一層増している。今や沖縄本島全域がオスプレイ飛行訓練場と化し、多くの市民・県民を恐怖と不安のどん底に陥れている。
 
 この13年間、歴代政権は対米従属の外交に終始し、沖縄差別と沖縄への基地負担の犠牲強要を続けている。
 私は去る8月13日、普天間基地の5年以内運用停止を求め、沖国大へのヘリ墜落に抗議し、オスプレイ撤去要求、辺野古新基地反対にする市民集会で「13年前のあの一瞬の恐怖を語り継ぎ、怒りを持続し、普天間基地の一日も早い閉鎖・返還実現まで闘い続けよう!」と訴えた。

8月13日と8月15日

 8月15日は敗戦の日である。今年の8月15日は敗戦から72年の節目の日であった。
 沖縄にとっては、6月23日が沖縄戦終結の日であり、毎年沖縄全戦没者追悼式が開催される。もちろん、ウチナーンチュにとっても8月15日は敗戦の日であり、全国戦没者追悼式にあわせた祈りを忘れない。

 私は去る8月15日の全国戦没者追悼式における安倍総理の式辞をテレビ放映で聞き、がっかりした。最も、初めてのことではない。安倍内閣誕生いらい愕然の連続である。

 安倍総理は「歴史と謙虚に向かい合う」とは言うものの、その言葉には加害の歴史への深い反省や不戦の誓いは全くない。
 ”壊憲”をめざし、戦争国家へと暴走する安倍総理には戦没者を追悼する資格すらない。

 安倍総理に抗って不戦と護憲に生きることこそが大事と誓いなおした8月15日だった。

8月17日

Posted by terukan at 12:28
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