博治から 博治へ ―その10

terukan

2017年03月13日 18:16

 3月11日の早朝から「辺野古新基地建設阻止議員団会議」のキャンプ・シュワブゲート前座り込み行動に参加した。
 その日は、悪天候で雨が降り続き、雨合羽を被り、傘をさしての行動となった。



 一緒に座り込んでいる名前も知らない多くの市民から、接見時の山城博治の状態を尋ねられた。
 中には「自分たちは面会できないので、せめて毎日ゲート前で座り込むのが博治への激励になるだろうと思い、毎日のように通っている」と声をかけてきた60代の男性もいた。嬉しいし、ありがたい。「必ず独居房の博治に伝えるから」と言い、名前を聞き出した。

 さて、3月12日の18時過ぎに博治の妻・多喜子から私のケータイに電話があった。
 実は、3月10日に那覇地裁は、博治と妻との接見禁止解除を決定しており、決定に対し検事が準抗告するかが注目されていた。私もイライラしながら時が経つのを待っていた。博治の妻から「弁護団から電話連絡があり、準抗告がなかったので13日から面会できる」との朗報が届いたという。

 その13日にあたる今日10時頃から博治と接見した。
 博治は、すでに弁護団を通じて妻との接見禁止解除を知っており、接見室に入るといつになくニコニコしていた。私が「もうすぐ多喜子が面会に来る。約5か月ぶりだから、互いに見つめあって愛と信頼を確認しなさい、妻への感謝とねぎらいの言葉も忘れずに」と声をかけると、恥ずかしそうな笑みを浮かべつつ、深くうなずいていた。

 3月17日の第1回公判を前に未だ釈放されず、接見禁止解除も一部にとどまるとはいえ「一歩前進」だ。博治の精神的苦痛も少しは軽減されるだろう。
 博治は「早く兄夫婦とも会いたい。引き続き接見禁止の解除を強く求めていってほしい」との要望があった。当然だ。「保釈と接見禁止の解除を裁判所に求めて行動したいただいた県内・県外、広く国際社会の方々に感謝している」との言葉もあった。
 
 この連載ブログ「博治から 博治へ」を読んで支援くださった皆さん、博治の独居房での拘束生活と健康を心配くださった皆さんに、私からもお礼を申し上げます。
 しかしながら、状況は「一歩前進」したに過ぎません。博治ら3人の仲間の公判闘争の勝利で、その行為の正当性、辺野古と高江における「非暴力抵抗闘争」の思想の正当性を確認し、辺野古新基地建設阻止の闘いに勝利するまで、みんなで頑張りましょう。そのためには、多様で創造的な運動をつくり、真に連帯し合うことが大事です。

 ところで、3月12日の地元2紙は、NGO「国際人権活動日本委員会」が博治の逮捕・勾留に関し、「国際人権規約に違反する」として「即時釈放を求める声明を発表した、と報じている。今日の接見の折、すでに博治も新聞を読んで知っていた。
 先にこのブログに書いたように、今や博治の「不在」が正義と平和、人々の人権と尊厳をつないでいる。


3月12日沖縄タイムス

3月13日 18:00