社民党

「復帰」46年の沖縄の真実

2018年05月16日

 5月15日は、沖縄が本土「復帰」してから46年目の節目であった。

 「復帰」46年の沖縄の現実から憲法と平和の課題について考察する。あの悲惨な沖縄戦は「ありったけの地獄を集めた戦争であった」とか「鉄の暴風」などと形容される。私は、どのような言葉をもってしても、沖縄戦の実相を語りつくすことは不可能だと考える。

 沖縄戦が終結した1945年6月23日から本土「復帰」が実現した1972年5月15日までの27年間、沖縄はアメリカの直接的軍事支配下で、平和憲法の適用がない「無憲法」下の日常を強いられた。基本的人権が保障されず、自治や平和的生存権、政治的自由が認められていなかった。
 かかる「無憲法」下のアメリカ直接軍事支配下で、先人たちは「基地のない沖縄」、平和憲法を求めて復帰闘争に決起したのである。
 
 復帰闘争は、初期の頃には「日の丸の下に帰ろう」と民族主義的、情緒的運動であったことは否定できない。私自身が中学、高校時代に教師らの強い影響を受けて、かかる「復帰」運動に動員された。
 私の経験に照らすと、1960年代後半から明確に「反戦復帰」「平和憲法の下への復帰」が闘いの主流になった。米軍基地に関しては「核抜き本土並み返還」が叫ばれていた。

 「復帰」46年の沖縄の現実はどうか。
 「復帰」によって、平和憲法は形式的に沖縄に適用されることになった。だが、同時に日米安保や日米地位協定も適用されるようになり、「復帰」後今日までの沖縄は「反憲法」下の日常を強いられている。平和憲法よりも日米安保や日米地位協定が優先し、巨大にして過密な米軍基地に起因する米軍人・軍属の事件・事故によって、ウチナーンチュの人間としての尊厳と平和的生存権は否定されたままである。

 「復帰」後の歴代政権はアメリカに従属し、ウチナーをアメリカの軍事植民地的扱いのまま放置している。歴代政府はウチナーンチュを憲法上の国民として扱わないのだ。ワジワジーする。

 本土「復帰」46年、安倍政権はウチナーの民意を無視して、米海兵隊が戦争をするためだけの辺野古新基地を強権的・暴力的に建設せんとしている。そのうえ、安倍「壊憲」により平和、人権を破壊し、戦争国家へと暴走せんとしている。

 「復帰」46年、ウチナーンチュは安倍「壊憲」に抗い、不戦と護憲に生きるべく、新たな創造的闘いへと立ち上がる。
 去る5月13日、「復帰46年 5・15平和とくらしを守る県民大会」で結集した3,500人の県内外からの参加者と共に、誓いを新たにした。

「復帰」46年の沖縄の真実

「復帰」46年の沖縄の真実



Posted by terukan at 18:22
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