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Posted by TI-DA at

博治から 博治へ ―その7

2017年02月23日

 2月23日午前11時から12時の間、山城博治と那覇拘置所で接見した。毎週1回の接見だが、独居房で4か月以上の長期にわたって勾留され、「人質司法」と政治弾圧に抗っている博治だ。その元気な顔を見るまでは、私の精神状態も落ち着きを失う。

 今日の接見室における博治との面談の一端を紹介する。

照屋 : 元気ソーミ(元気か)

博治 : (両手を突き上げて)元気、元気!

照屋 : ところで、ホッカイロ(の差し入れ)は入ったか?

博治 : 入った。だけど、暖かくなっていた。

照屋 : そのカイロの差し入れは(妻)多喜子が5日間も粘り強く交渉して、ようやく認めさせたんだ。妻の温かい気遣いに感謝するように。

博治 : そうだったんですか。「ありがとう」と伝えてください。

 博治の長期勾留で辺野古新基地建設阻止闘争を封殺せんとする政治弾圧に声を挙げ、独居房に繋がれて「不在」の博治と連帯する皆さん、博治は「今」元気です。
 とはいえ、長期勾留による精神的・身体的責め苦は続いております。一層大きな早期釈放要求と激励行動をお願いします。



 今日は「山城博治さんたちの早期釈放を求める会」が作成したポストカードを紹介します。1セット(4枚組)300円(送料別)で販売中です。ご注文は下記まで。ぜひポストカードを買い求め、博治さんたちの早期釈放を求めるあなたの声を裁判所と検察庁に届けるよう、私からも希望します。

◎FAX 098-974-7349
◎代金郵便振替口座 01710-8-145894 
◎名義人「山城博治さんたちの早期釈放を求める会」



  さて、話題は変わるが、辺野古や高江の闘争現場で「沖縄 今こそ立ち上がろう」という歌が唄われている。私自身、闘争現場で幾度となく唄った。その歌詞を紹介しよう。

 沖縄 今こそ立ち上がろう 作詞 山城博治

1.沖縄の未来(みち)は 沖縄が拓く
  戦さ世(イクサユ)を拒み 平和に生きるため
  今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

2.辺野古の海を 守り抜くために 
  圧政迫るが 立ち止まりはしない
  今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

3.高江の森を 守り抜くために
  力を合わせて スクラム固めよう
  今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

4.島々の暮らしを 守り抜くために
  思いを巡らせて 心を通わそう
  今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう


 博治は詩人でもあるのだ。
 原曲は加藤登紀子の「美しき5月のパリ」だと、私と博治の共通の友人・照屋勝則から教えてもらった。不覚にも、博治の作詞とは知らなかった。

 接見の折に、博治に作詞への思いを聞いた。
 30代の頃の私と加藤登紀子の出会いやエピソード(その内容は恥ずかしくて自白できない・・・)をちらっと話すと、博治は大爆笑した。免疫力が相当に高まったことだろう。

 2月24日(金)午後3時から博治らの早期釈放を求める大集会が那覇地裁前の城岳公園で開催される。多くの皆さんの参加をお願いします。
 併せて、ポストカードのご購入をぜひともお願いします。300円でつながる連帯を、共に!


沖縄選出野党国会議員で「山城博治氏の即時釈放を求める声明」を発表=2月18日、沖縄県庁記者クラブ

2月23日 17:00
  

Posted by terukan at 17:18

博治から 博治へ ―その6

2017年02月13日

 2月13日午前10時頃、指定された那覇拘置所接見室の扉を開けた。6日ぶりの博治の元気な顔があり、ほっと安堵した。毎度のことだが、博治の元気な顔を見るまでの接見待ち時間は落ち着かない。

 私のブログでの「博治から 博治へ」も回を重ねるごとに、博治の拘束状態を案じ、不当な長期勾留から一日も早い釈放を求める多くの人が読んでくださっているようだ。
 2月8日付のブログには、1,096人が「いいね!」の反応を寄せてくれている。(2月13日18時45分現在)
 読者の皆さん、ありがとう。博治の「今」を多くの人に伝えてください。

 ウチナーは、昨日(2月12日)が旧暦1月16日のグソー(後生=あの世)の正月、ジュールクニチー(16日祭)であった。接見後に那覇地裁前で会った博治の妻や兄嫁からジュールクニチーにご先祖様にも「早期釈放」を祈願した、と聞いた。

 今日の接見時、博治からは、独居房で兄夫婦、同級生、有志の仲間らによる拘置所の外からの「愛の一声」「激励の一声」が聞こえたこと、兄の健康を気遣い、「寛徳先生から兄に『無理しないように』と伝えてください」と言付かった。

 独居房には暖房設備がない。先週末は寒かったようで「重ね着して寒さをしのいだ」という。博治からホッカイロの差し入れを頼まれたので、接見後すぐに手配した。(現時点で、差し入れが認められたか不明だ)

 先週の接見時に告白された虫歯の疼きは、たいぶ治まったとのことで一安心した。博治から、妻・多喜子宛に「お菓子や甘い飲み物は一切差し入れないでくれ」と伝言された。

 今日の接見時に、私から雑誌「世界」3月号に博治関連の2本の評論記事が掲載されていることを伝えた。
 
 一つは、森川恭剛氏(琉球大学法文学部教授)の「山城博治議長の解放を―不正は刑事司法の側にある―」という小論文だ。博治の「釈放」ではなく「解放」を求めている。
 博治と二人で「すごい論文だ」とその論理と感性を讃えた。森川教授の専攻は存じ上げないが、私も同大法文学部卒業生である。近々お会いできればと思う。

 もう一つは、新城郁夫氏(琉球大学法文学部教授)と鹿野政直(早稲田大学名誉教授)の対談「沖縄を生きるということ(前編)―高江それぞれに『現場』をつくりだす人びと―」である。
 対談の中で、鹿野教授は「前は山城さんの存在が人々をつないでいた。今は、山城さんの不在が日々とをつないでいる」と述べている。その発言を受けて、新城教授は「不在であるがゆえに、むしろ人びとはつながっていますね」と応じている。

 私は、予め当該引用部分をメモして出かけたので、接見室で博治の顔を見つめ、読み上げた。全神経を集中して聞いていた博治は、一瞬で涙を滂沱(ほうだ)した。おかげで、私までもらい泣き寸前に・・・。
 博治には、共通の友人である照屋勝則(ゆうな印刷社長)と妻・多喜子に「世界」3月号を早く買い求めて差し入れるように言ってある、と伝えたところ、配慮への感謝が述べられた。



 接見を終えて、上京すべく空港へ向かった。いつものところ(那覇地裁正門付近)で、今日も6人の男女が博治の早期釈放を求めて「サイレント・アピール」をしている。それぞれが、お手製のプラカードを掲げている。(写真)
 車を停めて近寄ると、博治の妻と兄夫婦、そして名を知らぬ市民らであった。60代の浦添市の男性は「毎日博治のことが心配で、仕事を終えて駆け付けた。辺野古新基地建設の工事再開も許せない。博治には、一日も早く現場復帰して元気な姿を見せてほしい」と切実に訴えていた。

 新城教授と鹿野教授の対談にもあるように、博治の「不在」は形を変えて、創造的な連帯を間違いなく生み出している。それを実感する今日の出会いであった。

 今朝の地元紙は、北谷町美浜で昨日、マネキンを装った黒服姿の男女が博治の長期勾留に抗議し、早期釈放を求める「マネキンフラッシュモブ」をおこなった、と報じている。
 
 博治の「存在」と「不在」は、結果としてウチナーンチュの自主的で創造的な運動を多様化させ、拡がりと奥行きを与えている。
 その運動とそれらを生み出す市民の「声なき声」に、博治もまた励まされ、不屈に闘っている。

2月13日
  

Posted by terukan at 18:47

博治から 博治へ ―その5

2017年02月08日

 わが同志、山城博治が逮捕・拘留されてから115日目の本日(2月8日)、那覇拘置所で接見した。名護警察署留置場での接見も含めると、今日で10回目となる。

 博治は、独居房での長期不当勾留にもめげることなく元気です。ブログをご覧の皆さん、どうかご心配なく。
 
 今日の博治は、いつになく表情が明るい。接見室で会った瞬間にわかった。
 向かい合って10数秒経過したところで、博治が「ヒゲを剃りました」と言う。なるほど、ヒゲを剃った博治の顔を見るのはいつぶりだろうか。私の口から出たのは「ヒロジ、チュラニーセーナトゥン(美男子だ)」。二人で爆笑した。

 博治から妻・多喜子へ、自宅にある電子辞書か漢和辞典の差し入れ要望があった。
 
 実は、先週の私との接見後、虫歯の痛みがあったという。
 「嘱託医の診断は受けたか」と問うと、「痛いなら抜歯するか?」と聞かれたので断った、とのこと。私も「保釈後は、歯の治療もできるので、安易に抜かない方がいい」と応じた。
 すると、博治が「先週、兄の正和から甘いお菓子の差し入れがあった。ありがたく頂戴したら、歯に沁みた」と苦笑する。釣られて笑いながら「健康管理は自己責任だ」と戒めた。



 昨日(2月7日)の沖縄タイムスに「辺野古から 博治さんへ」「沖縄は絶対に諦めない」と題する社説が掲載された。私も、一読して感動を覚えた。
 長期拘留中の博治と辺野古新基地に反対する市民を繋ぎ、勇気を与える社説だ。権力を監視する使命を有するジャーナリズムの本領発揮といったところか。

 那覇拘置所の独居房では地元紙1紙を読むことができ、隔月で代わる。博治も先月は琉球新報、今月は沖縄タイムスを読んでいる。
 私が、切り抜きしてきた社説を持参し、話題にすると、博治は、独居房内で記した日記を私に示した。くだんの社説が書き写してある。(独居房内では切り抜き保存ができない)
 社説を読んだ博治は、房内に折りたたんだ布団に突っ伏して号泣した、という。よほど感動したのであろう。

 私が「博治さん。拘置所の狭い空間の中では一人ですが、外の世界では決して一人ではありません。県内や国内だけでなく海外からも、多くの励ましの声が届いていることをお伝えしたいと思います」と、沖縄タイムス社説末尾の一文を読み上げると、博治は感極まって、また涙した。私もまた、もらい泣きしてしまった。

 沖縄タイムス社説では、辺野古新基地建設に向け、海上工事が始まったこと、7日以降に最大14トンの大型コンクリート製ブロックが計228個海中に投入されること-などが書いてある。
 今この瞬間も博治は、国家権力むき出しの工事強行に歯ぎしりし、闘争現場にいれないことを悔しがっているに違いない。

 沖縄タイムス社説に勇気を得た博治は「励ましの声は、しっかり受け止めました。必ず元気で闘争現場に戻り、辺野古新基地建設を多くの県民とともに止めたい」と述べ、「照屋さんから(沖縄)タイムスの論説委員に私の感謝の気持ちと決意を伝えてください」と強く頼まれた。

 今日は、博治との接見を終えてから、すぐに上京した。国会事務所に入ると、石垣さんという女性から「ヒロジさんの接見時に」と題するメールが寄せられていることを秘書から知らされた。そこには「沖縄タイムスのこの社説の事をヒロジさんに伝えて下さい!ヒロジさんも読めている
事を願っています。黒塗りでないことを.. 」と記されていた。
 石垣さん、博治を気遣ってくださり、ありがとう。博治は、ちゃんと社説を読んでますよ。

 今日の接見時には、辺野古や高江の闘争現場で歌われている「沖縄 今こそ立ち上がろう」(作詞・山城博治)についても語り合った。
 その話も書き綴りたかったが、長くなりそうなので、次の「博治から 博治へ」で記そうと思う。

2月8日
  

Posted by terukan at 19:45

博治から 博治へ ―その4

2017年02月03日

 沖縄の桜は、ヤマトに多いソメイヨシノとは全然違う。寒緋桜(カンピザクラ)とか緋寒桜(ヒカンザクラ)と呼ばれる。
 正月も中旬になると、名護市、本部町、今帰仁村などで盛大に桜まつりが挙行される。今年も例年のごとく「一足お先に」とばかりに、2月上旬まで桜まつりがおこなわれている。
 だが、辺野古新基地反対闘争の現場で闘う市民や、不当逮捕で異常な長期勾留下に置かれ、独居房暮らしを強いられている山城博治に桜の花便りは届かない。

 その山城博治に、昨日(2月2日)15時から約1時間接見した。
 今年に入って、週に1度は博治と接見しているが、先週の接見時と変わらず健康状態は良好だ。食欲もあり、睡眠も十分にとっている。公判開始にそなえ、独居房でも意識的に体を動かしているようだ。
 博治からも「風邪をひかぬよう、うがいを心がけている。先週以降、好みの飲み物も妻が差し入れてくれている」と報告があった。

 私の方からは、1月31日と2月1日にアムネスティ・インターナショナル日本の活動部門チーフ山口薫さん、事務局長の若林秀樹さんが私の国会事務所に来室し、博治の釈放要求運動について意見交換したこと、その釈放要求書の内容などについて伝えた。
 博治も独居房の中で地元紙を読んでおり、概要は知っていた。「心強い、励みになる。『国家権力に屈せずに頑張る!』と照屋さんから伝えてくれ」とのことだった。
 アムネスティ・インターナショナルの皆さん、今後も博治釈放の日まで共に頑張りましょう。

 昨日の接見の際、博治が感涙にむせびながら話したのは、私と博治の共通の友人である辛淑玉さんのことであった。
 在京地上波のローカルテレビ局・東京MXの番組「ニュース女子」が、辺野古新基地や高江の米軍ヘリパッド建設に反対する市民をテロリストに例えたり、「日当」をもらっているなどと虚偽の中傷をしたうえで、反ヘイト市民団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉さんの人権を著しく侵害し、差別的侮辱、罵詈雑言を浴びせている。断じて許せない。

 博治も、東京MX「ニュース女子」をめぐる問題について、地元紙を通じて知っていた。1月27日の東京での辛淑玉さんらの記者会見、沖縄での池宮城弁護士、作家・目取真俊氏らの記者会見の様子も知っていた。
 博治は「地元紙に掲載された辛淑玉さんの手記を読んで感動した。心の底から共感した。辛淑玉さんの言説に勇気を得た」と声を詰まらせ、涙をぬぐいながら「照屋さん、僕の気持ちを辛淑玉さんやのりこえねっと、支援する市民に伝えてください」と頼んできた。

 その他博治とは、弁護団からの報告で第一回公判が3月17日に内定したこと、公判に臨む態度、現下の差し入れ・宅下げの状況など詳細にわたって話し合った。

 博治との接見を終え、帰宅すべく秘書の運転する車に乗り込んだ。拘置所を出て、裁判所正面に至ると、博治の釈放を求めるプラカードを持ってサイレント・アピール中の5~6人のオバサンたちが目に飛び込んできた。
 直ちに車を降りて事情を聞くと、那覇市内に暮らす市民であるという。たった今博治と接見してきたことを伝え、「次の接見時に皆さんの行動を必ず博治に伝える」と約束した。


博治の早期釈放を求めて行動する勇気あるオバサンたちと=2日午後、那覇地裁前

 国家権力むき出しの悪質で異常な長期勾留に異議を唱え、早期釈放を求める運動は、市民レベルでも確実に広がり、博治に大きな勇気を与えていてる。
 いや博治だけでない。私も、名も知らぬオバサンたちの勇気ある行動に励まされた一人だ。

2月3日
  

Posted by terukan at 12:44
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