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【憲法コラム】残忍非道な米軍属の犯罪と基地撤去の闘い

2016年05月26日



 元海兵隊員で極東最大の米空軍基地カデナで働く軍属による、凶悪で犯行態様が悪質卑劣な事件で、20才の若い、未来ある女子会社員の尊い命が奪われる、という犯罪が発生してしまった。

 容疑者の米軍属が緊急逮捕されて以降、沖縄では深い悲しみと強い怒りの声が高まっている。基地があるが故の、軍人・軍属が多数駐留するが故にくり返される犯罪に対し、多くの県民が全ての在沖米軍基地撤去を求める闘いに立ち上がった。

 もはや、保守革新もない。老若男女、世代を越えて怒りに燃えている。

 事件発生地から考える。

 凶悪犯罪が発生したうるま市は私が居住する市である。事件発生場所地と思われる被害者が住んでいたうるま市大田の集落は、県道沿いの一部を除き、純農村集落である。

 そのような場所で、しかもウォーキング中に襲われる。容疑者が逮捕後に自供した内容によると、後方から棒で殴り、首を絞め、ナイフで刺し、暴行のうえ殺害し、予め用意したスーツケースに入れて運び、北部の雑木林に遺棄している。

 被害女性の恐怖、痛み、悔しさ、無念を想像するに言葉を失う。ご遺族の心痛も察するに余りある。許せん。断じて許せん。毎日怒り、苦しんでいる。

 沖縄はどこに住んでいても、米軍人・軍属の犯罪被害に遭う可能性が高い。よもや、米軍人・軍属は「良き隣人」ではなく、「悪しき隣人」だ。

 「思い出も涙も、尽きることはありません」

 去る21日、被害女性の実家がある名護市で営まれた告別式に参列した。焼香を待つ斎場の外まで、父親の号泣し、絞り出すような声で参列者に無念の思いと亡き娘を語る言葉が響いてきた。嗚咽が・・・。

 自宅に戻り、会葬礼状を読んで落涙した。地元2紙でも報じられた礼状をここに書き記す。ご遺族の悲しみ、怒りを共有していただきたい。

 「思い出も涙も、尽きることはありません」一人娘の里奈は、私達夫婦にとってかけがえのない宝物でした。これは親のひいき目かもしれませんが、素直で明るくて、いい子に育ったと思っています。沢山の友達に恵まれ、好きな人と心通わせ、今が一番楽しい時期だったのに・・・。このような形で人生を終えるはずではありませんでした。

 今となっては娘の身に何が起こったのか、本人に直接話を聞くことも、にこっと笑ったあの表情を見ることもできません。今は、いつ癒えるかも分からない悲しみとやり場のない憤りで胸が張り裂けんばかりに痛んでいます。娘に私達の言葉が届くのであれば「怖い思いをしたね、後のことは心配しないで安らかに・・・」そう伝えたいと思います。

 娘島袋里奈は、享年22歳にて生涯をとじました。

 娘が私達のもとに帰ってくるまで、大勢の方が手を尽くしてくださり、また励ましの言葉も頂戴しました。これまで賜りました、ひとかたならぬご芳情に、深く感謝申し上げます。(以下、省略) 喪主島袋康秀」






5月24日、衆議院安全保障委員会。同日、県選出野党国会議員5人で中谷防衛大臣へ抗議の申し入れ

 在沖米軍基地撤去、日米地位協定全面改正を求める県民の闘い。

 去る24日の衆議院安全保障委員会は、本件事件について緊急集中質疑を行なった。

 私も、社民党委員として質疑に立ち、中谷防衛大臣を質し、日米両政府を追及した。私は被害女性の無念とご遺族の深い悲しみ、ウチナーの高まる怒りを共有して、かりゆしウエアの喪服姿で質疑に立った。

 私は、中谷防衛大臣に過去幾度となくくり返される米軍人・軍属の犯罪発生の度に「綱紀粛正」「再発防止」などという手垢のついた陳腐な言葉が日米両政府高官から発せられる。もはや、そのような言葉を県民は信用しない。「日本政府は、実効性のある再発防止の具体策はあるか、米軍に提示できるか」と迫ったが、答えは得られなかった。そのような具体策を日本政府は持たないし、日米同盟が重要とばかりに、米政府に強く要求する気も毛頭ない。

 県民への基地負担と犠牲の強要には鈍感で、県民の命の尊厳と安全を守ろうという真剣さは全くない。日米両政府は、米軍人・軍属犯罪の「不作為の共犯者」、第2の隠れた容疑者も同然だ。

 昨日午後、オール沖縄会議の主催による緊急抗議集会が嘉手納基地第2ゲート前で開催された。私も参加して社民党を代表して決意表明をした。県選出国会議員5人で在沖アメリカ総領事、中谷防衛大臣にも抗議した。

 今や「基地の島」沖縄は、「怒りの燃ゆる島」と化している。在沖米軍基地撤去、新たな辺野古新基地建設反対、不平等不公平で米軍人・軍属に様々な特権免除を与える日米地位協定全面改正要求、被害者遺族への謝罪と完全補償へと決起した。

 一方で、安倍政権と自民党はウチナーの怒り、苦しみを理解しようとしない。オバマ訪日への悪影響、政局や選挙への影響ばかりを心配する。全くの低次元だ。

 オバマ大統領と安倍総理の会談も、本件事件への対応は素っ気ない。

 ウチナーンチュ ウセーネー タダヤユルサンドー(沖縄の人を蔑ろにすると、許さんぞ!)

 明日、県会議員選挙が告示される。県議選では民意が必ず日米両政府の不条理を撃つだろう。

(2016年5月26日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 19:02憲法コラム

【憲法コラム】「壊憲」に抗い 不戦と護憲に生きる

2016年03月18日



 今日の憲法コラムの表題「『壊憲』に抗い 不戦と護憲に生きる」は、最近私が上梓した著書名である。1995年7月の参議院議員初当選いらい揺るがぬ国会議員としての信念、決意でもある。

 最近になって、安倍総理の憲法に対する信念と決意も明白になった。

 安倍総理は「在任中の改憲」にただならぬ意欲を示している。来る7月予定の参議院選挙で、自民党・公明党の巨大与党と野党の一部改憲勢力と糾合し、改憲(以下「壊憲」という)の発議に必要な3分の2の議席獲得に向けた決意を公言して憚らないのだ。
 
 7月の参議員選挙(ここへきた衆参同日選挙の可能性も高まってきた)は、ほぼ間違いなく憲法改正問題(本質は「壊憲」だ)が最大の争点になるであろう。
 
 もしかしたら、安倍総理の常とう手段とも言うべき「巧妙な世論操作」によって、最大争点を隠し、参議院選挙勝利後に「壊憲」へと暴走する算段かもしれない。いずれにせよ要注意、要監視だ。
 
 私が安倍総理の「在任中の改憲」に論及するのには根拠がある。決して、思いつきで言っているのではない。それについては衆参予算委員会の場で議論され、多くのマスコミが報じている通りだ。

 自民党規約によると、安倍総理の任期は2018年9月までである。衆議院における小選挙区制導入から久しい中、自民党内の異論は封殺され、同党国会議員も政治家として劣化している。今や独裁者たるアベ総理(自民党総裁)の前では多くの者が「蛇に睨まれた蛙」なだけに、党規約改正による任期延長も予想されるが、現規約に従えば今回が最後の参議院選挙となる。安倍総理にとっては「在任中の改憲」に向けた環境整備(「壊憲」勢力による衆参両院での3分の2議席確保)のチャンス到来だ。きっと「伝家の宝刀」である衆議院解散も虎視眈々と狙っているのだろう。

 話は変わるが、去る3月2日付「参議院予算委員会速記録(未定稿)」を精読してビックリ仰天した。以下、抜粋する。

 ●大塚耕平議員(民主党)
 総理は、在任中に憲法改正をしたいというふうにお考えでしょうか。

 ●安倍総理
 憲法改正については、自由民主党は今年で立党61年を迎えるわけでありますが、立党当初から党是として憲法改正を掲げているわけでございまして(略)さきの総選挙でも訴えているわけでございますから、それを目指していきたいと、こう考えております。

 ●大塚議員
 在任中に憲法改正を成し遂げたいとお考えですか。

 ●安倍総理
 (略)私も、私の在任中に成し遂げたいと、こう考えておりますが・・・(以下略)
 
 ご覧の通り、大塚議員への答弁の中で、安倍総理は「在任中の改憲」を豪語しているのだ。そのためには与党だけでなく、一部野党の「壊憲」勢力(自民党の補完勢力)の協力も得ての3分の2議席獲得が必要だ、とも答えている。
 
 では、安倍総理や「壊憲」勢力は、何を突破口にして「壊憲」を実現しようとしているのか。
 
 私が衆議院憲法審査会に所属していた数年前から言われていたのは、国家緊急権(緊急事態条項)、環境権、財政規律条項の創設―等である。
 
 安倍総理と「壊憲」勢力の本命は、自民党「日本国憲法改正草案」(2012年)に基づく憲法9条改悪(「国防軍」創設)、憲法前文の全面書き換え―などにあるのだろうが、まずは国民を「壊憲」手続きに慣らす「お試し改憲」を優先しているのだ。その筆頭が国家緊急権創設にあるのは間違いない。
 
 去る3月11日、東日本大震災・福島第一原発事故から5周年の節目を迎えた。あの大惨事から5年、大地震と大津波、原発事故による被災・被害からの復興は道半ばだ。「人間の復興」もまだまだ実現していない。
 
 「壊憲」勢力は、東日本大震災の生々しい記憶が多くの国民の脳裏に焼き付いている中、それを「お試し改憲」のために悪用せんと企んでいるのだから質(たち)が悪い。やり方が姑息すぎる。
 
 芦部信喜『憲法(第5版)』(岩波書店、2011年)は、国家緊急権について次のように論述している。

 「戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限を、国家緊急権という」―と。
 
 要するに、国家緊急権とは、立憲的な憲法秩序の一時停止(永久にかもしれない)によって、執行権者(内閣)に権力を過度に集中させ、人権を制約するものである。それ故、たとえ「お試し改憲」であろうと、絶対に認められない。

 安倍総理は、先の「戦争法」強行成立によって、この国の平和主義と立憲主義、民主主義を破壊したばかりだ。今また国家緊急権発動のための「お試し改憲」で「壊憲」し、この国を根本からずたずたに破壊せんとしている。

 安倍総理と一部野党を含む「壊憲」勢力の企みを打ち砕くため、今何が政治に求められているのか。

 立憲主義を回復するために「戦争法」廃止、反原発(原発再稼働反対)、辺野古新基地建設反対、労働法制改悪反対、反貧困・格差是正―などの基本政策で野党が結集し、国会内外での共闘、幅広い市民との連帯を早急に創り出すことだろう。
 
 7月の参議院選挙が刻一刻と迫っている。現下の政治状況にあって「自民党1強体制」を崩さない限り、真の民主主義は確立できない。巨大与党に対峙し、「壊憲」勢力に楔を打ち込むためには、大胆な選挙協力が大切だ。各野党が党利党略にとらわれるようなことがあってはいけない。
 
 今日の憲法コラムでは、国家緊急権(緊急事態条項)に絞って言及したが、昨今の政治状況自体が、この国の立憲主義、それに支えられる日本国憲法の三大原理である「平和主義」「国民主権」「基本的人権尊重主義」にとって緊急事態、非常事態であることも付言しておきたい。
 
 安倍総理の「任期中の改憲」を阻止すべく、みんなで声を挙げ、創造的行動に立ち上がろう。


 
 結びに、表題の拙著をご一読ください。定価1,500円を1,200円(送料当方負担)で販売しております。購入希望の方は、私の国会事務所(03-3508-7069)までお電話ください。

(2016年3月18日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 18:38憲法コラム

【憲法コラム】遠い 遠い はるかに遠い―国と沖縄の「真の和解」―

2016年03月10日




 去る3月4日のウチナーにおける「さんしんの日」、国(原告)が沖縄県(被告)を訴えた代執行訴訟で、電撃的な「裁判上の和解」が成立した。
 
 私は、そのビッグニュースを米軍キャンプ・シュワブゲート前の座り込み闘争現場で耳にした。
 
 私が、国と沖縄県が「裁判上の和解」に合意した、とのニュースに接した経緯は、同日付の私のブログに記してある。
 
 翌3月5日、地元二紙の詳報、福岡高裁那覇支部の和解勧告文(全文)、成立した和解書本文(条項)などを通して、和解の全容やそこに至る経緯・背景を知った。
 
 私の約44年に及ぶ弁護士的感覚からすると、国が辺野古新基地工事中断を受け入れた点で、今回は被告沖縄県の「勝訴的和解」である。すなわち、実質的な沖縄県の勝訴だ。
 
 3月5日付の地元二紙は、電撃的な和解成立を県幹部が「暫定勝訴」と表現する一方で、防衛省幹部が「不戦敗」と吐き捨てた、と報じている。いずれの言い分も理解できる。(だが、表現としては、業界用語でいう沖縄県の「勝訴的和解」がピッタシだ)
 
 さて、和解成立の翌日に地元紙に掲載された福岡高裁那覇支部の和解勧告文を精査すると、国(安倍政権)が和解に応じたのは、間違いなく敗訴のリスクを回避せんがための決断であった、と読める。
 
 裁判所が国と沖縄県双方に提示した和解勧告文は、①行政不服審査法に基づく国による代執行訴訟提起は、国・県が対等・協力関係にあることを示した平成11年改正地方自治法の精神に反する、と痛烈に批判した上で、②今後埋め立て承認の撤回がされたり、設計変更に伴う変更承認が必要となった場合、特に後者においては知事の広範な裁量権限に照らし、国が敗訴するリスクが高い、と明言している。③本来、辺野古問題はオールジャパンで最善の解決策を考え、米国に協力を求めるべきである、とも言及している。
 
 いずれも、誠に持って正論だ。司法に幻想を抱くものではないが、裁判所にこれだけ具体的かつ批判的に指摘されると、国側代理人も「敗訴」が脳裏によぎったに違いない。それ故、工事強行に躍起な防衛省を外し、官邸主導での電撃和解に至ったのだろう。
 
 和解成立から土日を挟んでわずか3日目の去る3月7日、国は和解条項第3項に基づき、沖縄県に対して地方自治法第245条の7に定める是正の指示を発出した。

 是正の指示が和解条項に明確に違反するとは言い切れないが、和解条項第8項の「原告(国)及び利害関係人(沖縄防衛局)と被告(沖縄県)は(中略)普天間飛行場の返還及び本件埋立事業に関する円満解決に向けた協議を行う」との主旨に違反するのは明らかだ。
 
 そもそも、和解成立後に「円満解決に向けた協議」は1度も開かれていないばかりか、その日程はおろか、「協議」の枠組みすら全く決まっていない。

 そのような状況下で、国は是正の指示に踏み切ったのだ。当然、沖縄県は不服とし、和解条項第3項の定めに従って1週間以内に国地方係争処理委員会に審査を申し出ることになる。その場合、同委員会の導く結論がどうであれ、国は辺野古新基地を諦めないし、沖縄県(翁長知事)の新基地阻止の姿勢も全く揺るがないだろう。したがって、審査申し出は、事実上の国と沖縄県との「新たな裁判闘争」の始まりとなる。
 
 安倍総理は、和解受諾を表明した記者会見の場で「辺野古が唯一の選択肢」と相も変わらず、寝ぼけたことを言っている。不誠実にも程がある。
 
 ただ、翁長知事も負けていない。3月8日の県議会本会議の場で、是正指示に踏み切った国を批判しつつ、3月4日の和解に拘束されるのは「埋め立て承認取り消しに伴う2訴訟」だと明言し、「オールジャパンで提言をした場合に米国も見る可能性があるとの話(和解条項)は『辺野古が唯一』ではないと読める」と応酬した。発言から翁長知事の断固たる信念と決意が感じ取れよう。

 だいたい、抑止力や地政学的理由を挙げては、ウチナーだけに日米安保や米軍基地の負担と犠牲を強要して恥じない、思考停止の安倍政権である。「辺野古が唯一」とのたまうのも、沖縄差別の基地押しつけしか頭にないからだ。


3月8日、衆議院安全保障委員会

 私は、一昨日(3月8日)の安全保障委員会における中谷防衛大臣との和解に関する質疑応答(不誠実な答弁)を踏まえ、「裁判上の和解」による埋め立て「工事中断」にとどまらず、国をして埋め立て「工事断念」に追い込むまで、不屈の闘いを持続的・創造的に展開していかねばならない、との思いを強くした。

 安倍政権がアメリカに隷従し、沖縄を軍事植民地的に扱う姿勢を改め、沖縄差別を止めない限り、国と沖縄に「真の和解」はやってこない、と断言する。

 安倍総理よ、自民公明の巨大与党よ、「ウチナーンチュ ウセーテ ナイビランドー」(沖縄の人を蔑ろにしてはいけませんよ)

 嗚呼、国とウチナーの「真の和解」は遠い、遠い、はるかに遠い―。
 
 一昨日の晩は、寝床に入ってからダークダックスが歌う「銀色の道」の一節を思い出した。ダークダックスの「銀色の道」に準えれば、今現在、国と沖縄が歩んでいるのは「灰色の道」いや「泥沼の道」だ。

 悶々として、なかなか寝付けない中、辺野古新基地建設反対の闘いに勝利するまで、諦めずに闘う決意をさらに固めた。

(2016年3月10日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 10:04憲法コラム

【憲法コラム】「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」結成される

2015年12月15日



 昨日(12月14日)夕方、約1,300人の県民が参加する中「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が結成された。

 結成大会の呼びかけ文には「うまんちゅの英知を結集し『沖縄建白書』の理念を実現させよう!」との“檄”が刷り込まれ、次のような一文が添えられていた。

 島ぐるみ、
 沖縄県民ぐるみで辺野古新基地を止める。
 沖縄の未来は
 沖縄が切り拓く。
 子や孫のために
 誇りと尊厳を守り抜く。
 この島の未来を拓くため
 うまんちゅの英知を結集し
 翁長知事を支えていこう。

 「オール沖縄会議」は、規約第2条で「本会は『建白書』の理念を実現させ、辺野古新基地を造らせないことを目的とする」と謳い、その目的は明快だ。
 
 第2条の目的と関連し、活動方針を次のように定めている。

 1.沖縄県民の民意を実現するための諸活動
 2.政府並びに国会、諸機関等への要請、抗議等及び諸団体等との協力共同のとりくみ
 3.米国政府並びに同議会、諸機関等への要請、抗議等及び諸団体等との協力共同のとりくみ
 4.世界各国、国際的諸機関、諸団体等との協力共同のとりくみ
 5.世論喚起のための宣伝等の諸活動
 6.その他必要なとりくみ

 この間、県内の様々な政党、市民団体、労働団体や個人が辺野古新基地建設反対の闘いを展開してきた。「オール沖縄会議」の結成は、それらの団体・個人を網羅し、統一的な指揮体系の下、辺野古・大浦湾海上での抗議行動、キャンプ・シュワブゲート前における非暴力抵抗闘争をより効果的、創造的に発展させよう、との狙いがあることは間違いない。

 同時に、辺野古新基地建設反対の闘いを全国、そして国際社会へと拡げていく狙いもあろう。大きな世論を形成するうえでの核となる組織的役割もある。

 「オール沖縄会議」には、その設立趣意書でも明らかなように「翁長県政が政府との全国的な法廷闘争に入った現在、県民挙げての支援体制を構築していくなど『あらゆる手段を駆使して新基地建設を阻止する』という翁長知事の闘いを全面的に支えていく」との活動方針がある。
 私も「オール沖縄会議」結成大会に参加したが、会場はものすごい熱気で埋め尽くされていた。翁長知事やシムラ恵一郎宜野湾市長選挙予定候補も出席し、熱弁をふるった。

 共同代表の稲嶺進名護市長らが力強く、ユニークな挨拶をおこない、沖縄平和運動センター・山城博治議長らによる辺野古の現場からの報告は、1,300人の大会参加者に深い感動を与えた。闘いにおける連帯の力を実感した。

 私を含む県選出5人の国会議員と経済界代表者も顧問に就任した。

 さあ、気合を入れ直そう。今後は「オール沖縄会議」の旗の下で団結し、辺野古新基地建設反対の闘いに勝利するまで頑張ろう。
 私たちは、いかなる強大な国家権力にも絶対に屈しない。

 本コラムを読んでくださった全国の仲間の皆さん、今すぐに連帯の声を挙げ、行動に決起してください。


12月14日付沖縄二紙

(2015年12月15日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 17:49憲法コラム

わたしたちに基地も戦争もいらない!-砂川闘争60周年のつどい

2015年11月06日



 あれから60年-。 「砂川闘争」と言っても、今や知っている者は少ない。それもそのはず、かく言う私が10歳の頃の出来事だ。

 1955年5月4日、政府が東京都砂川町(現立川市)に米軍基地拡張を通告した。以後、「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない」を合言葉に団結し、反対する農民らを中心に砂川基地反対同盟が組織され、抵抗闘争が展開されていく。

 わたしたちに基地も戦争もいらない!とのスローガンの下、平和を希求する志を持って決起した農民らの闘いは、大きな運動へと発展する。
 
 農民らの闘いに連帯する旧社会党を中心とした政党、労働者、学生(全学連)など広範な市民によるデモ、集会、運動が幾重にも組織されたようだ。

 1956年10月12日から13日にかけて、政府は暴力的に土地測量を強行した。その結果、「流血の砂川闘争」が起こる。

 1957年7月8日、米軍占領下で接収された土地に対する強行使用のための基地内土地測量が開始され、抗議する労働者や学生のデモ隊員がわずか2~3メートル基地内に足を踏み入れただけで「侵入した」として逮捕された。逮捕者23名のうち7名が日米安保条約に基づく刑事特別法違反で9月22日に起訴された。(有名な「砂川事件」)

 1959年3月30日、東京地方裁判所(伊達秋雄裁判長)は「在日駐留米軍は憲法9条に照らして違憲の存在、被告人全員に無罪」の判決を言い渡す。(有名な「伊達判決」)

 ところが、検察庁は極めて異例な跳躍上告(高等裁判所の控訴審をすっ飛ばして最高裁に上告すること)をし、同年12月16日、最高裁は一審「伊達判決」を破棄差し戻し、後に被告人全員が罰金刑の有罪判決を宣告された。(有名な「最高裁砂川判決」)

 「砂川闘争」や「砂川裁判・判決」の歴史的検証をするつもりで、この一文を書き綴っているのではない。
 
 政府と自公与党が一体となって「最高裁砂川判決」を曲解、悪用のうえ、昨年7月1日に集団的自衛権行使容認(解釈改憲)を閣議決定し、挙句「戦争法」を強行成立させる暴挙へとつながったことを糾弾したいのだ。

 「戦争法」は明白な違憲無効の法律だ。「最高裁砂川判決」が集団的自衛権の限定容認の根拠になるとの言説は、まったくの嘘っぱち、まやかし、詭弁、牽強付会だ。

 「砂川裁判」では、一審でも最高裁でも、わが国の集団的自衛権が争点になっていない。あくまでも、在日米軍の駐留が憲法9条との兼ね合いで違憲か否かが問われたにすぎない。

 結論を言うと、政府は砂川町における米軍基地拡張断念に追い込まれた。
 
 私たちは今こそ、砂川闘争における勝利を「戦争法」廃止や辺野古新基地反対闘争にひきつけて考え、多くを学ばねばならない。


11月5日、立川市たましんRISURU大ホール

 昨夜の「砂川闘争60周年のつどい」における基調講演、基調報告では、「砂川闘争」の経験を生かし、発展継承させ、辺野古新基地建設反対闘争にどうつなげるか、辺野古闘争への連帯のあり方-等について様々に語られた。

 私からはキャンプ・シュワブゲート前に警視庁機動隊が投入されたこと、ウチナーとウチナーンチュの尊厳をかけた国家暴力との非暴力闘争が続いていること、全国・全世界からの自立する連帯による緊急支援が必要であること-などを訴えた。
 
 そのうえで、昨夜の集会呼びかけに「わたしたちに安倍独裁政権はいらない!」と付け加えたい、と願い出た。

 ここまで書き進め、そろそろ筆を置こうとしたところ、議員会館居室の電話が鳴った。
 
 昨夜の集会で私の講演を聴いたという主婦からで、CV22オスプレイの横田基地配備に反対する運動を今すぐ始め、大きく創り出していかねばならない、旨の発言に”感動した”とのことだった。

 私が常々呼びかけている「真の自立する連帯」の輪は、砂川の地をはじめとする全国各地で着実に拡がっているものと確信する。

(2015年11月6日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 17:37憲法コラム

【憲法コラム】野党の臨時国会召集要求は憲法上の少数派の権利

2015年10月21日



 野党5党は去る10月19日、幹事長・書記局長会談を開き、速やかに臨時国会を召集するよう与党に求めることで一致した。(私はこの会談に又市幹事長に代わって出席した)

 野党5党は、臨時国会を開会する必要性について、(1)TPP大筋合意の内容や交渉経緯(2)第三次安倍改造内閣の新閣僚らの所信表明(3)「戦争法」の参議院における不法・不当な強行採決(4)翁長沖縄県知事の辺野古埋め立て承認取り消しと国の法的対抗措置(5)原発再稼働(6)閣僚の不祥事―など山積する問題について、臨時国会を早急に開き、国権の最高機関たる国会(憲法第41条)で審議を尽くし、国民に対する説明責任を果たすべき、との認識で一致したのである。

 翌10月20日、野党の要求に応じる形で、与野党幹事長・書記局長会談が開かれた。その席上、前日の野党側会談で確認された内容に基づき、与党側の自公幹事長に対し、臨時国会召集要求がなされた。

 対する谷垣禎一自民党幹事長からは(1)総理の外交日程が詰まっており、審議日程の確保が困難であること(2)野党各党の要求は「承った」上で、官邸と相談・調整する―との趣旨で返答があった。

 私からは、野党の共通課題とは別に沖縄に引き付けて(1)島尻沖縄担当大臣の公選法違反疑惑(2)辺野古新基地建設問題―についても臨時国会を開いた上で、徹底的に審議すべし、と訴えた。

 そもそも、政府・与党は「戦争法」審議のため大幅延長された通常国会の閉会直後から、秋の臨時国会は開く必要がない、との姿勢を示していた。第三次安倍改造内閣の組閣直後に、新大臣の不祥事やスキャンダルがマスコミを通じて露見し、困ると、一層頑なに臨時国会開会拒否の姿勢を強めた。

 「一強多弱」の国会にあって、安倍独裁総理による政権延命、疑惑隠しのための国会審議サボタージュ作戦である。断じて許せない。


野党国対委員長で大島議長に申し入れ=21日午前、衆院内

 10月21日午前、野党5党(一部無所属議員を含む)は、125名連名による臨時国会召集要求書を大島理森衆議院議長に共同提出した。(同様に、同日午後、参議院でも共同提出された)

 憲法及び国会法は、国会の活動形態として「常会」「臨時会」「特別会」の三種類を定めている。それぞれ、「通常国会」「臨時国会」「特別国会」と呼ばれている。

 憲法第53条は「内閣は、国会の臨時会の招集を決定することができる。いづれかの議員の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と規定する。

 野党5党は「速やかな」臨時国会召集を求めているものの、召集期日の指定まではしていない。憲法学者の間でも、召集期日の指定に内閣は拘束されないが、さりとて相当な期間(せいぜい2~3週間)のうちに召集を決定すべき、とするのが多数説である。

 従って、総理の外交日程の都合上、審議時間の確保が困難である、との理由により、国会召集要求を退けるのは屁理屈でしかない。憲法第53条に定める少数派国会議員の召集要求権を無視するもので、明白な憲法違反である、と断ぜざるを得ない。

 私は、21日の議長申し入れの際、次のように発言した。

 「憲法第53条に基づく臨時国会召集要求は、非常に重たいものである。自民党は先に発表した『日本国憲法改正草案』の中で、憲法53条を改正し、いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があったときは、要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない、と定めている」―と。

 私の発言は、大森議長による政府与党への注意喚起と少数野党への配慮を求めたものである。(自民党と安倍内閣への毒のこもった皮肉でもあったが・・・)

 自民党作成の「日本国憲法改正草案Q&A」は、憲法第53条改正について、次のように記している。

 「(憲法)53条は、臨時国会についての規定です。現行憲法では、いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣はその召集を決定しなければならないことになっていますが、臨時国会の召集期限については規定がなかったので、今回の草案では『要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない』と規定しました。党内議論の中では、『少数会派の乱用が心配ではないか』との意見もありましたが、『臨時国会の召集要求権を少数派の権利として定めた以上、きちんと召集されるのは当然である』という意見が、大勢でした」。

 う~ん。なるほど、なるほど。私は、安倍流「壊憲」には反対だ。自民党「日本国憲法改正草案」にも反対で、この間強く批判してきたものである。

 だが、読み返してみると、自民党による憲法第53条改正案は「いいね!」。

 安倍総理、菅官房長官、谷垣幹事長よ、よもや自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日)を知らぬ存ぜぬとは言うまい。忘れてはおるまい。

 然らば、「酢のコンニャク」などと言わず、憲法上の少数派国会議員の権利を尊重し、早急に臨時国会を召集せよ。

(2015年10月21日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 17:40憲法コラム

【憲法コラム】最高裁砂川判決と集団的自衛権

2015年09月15日



参議院における「戦争法案」の審議が大詰めを迎えた。安倍政権と自公巨大与党は、9月16日から18日にかけて参議院「戦争法案」特別委員会及び本会議における「強行採決」を示唆し、そのタイミングを狙っている。

 一方、野党は、一致して徹底審議を求めている。参議院における問責決議案、衆議院における内閣不信任決議案の提出等を構えつつ、院外の様々な「戦争法案廃案!」「安倍内閣打倒!」の闘いと呼応して、深慮遠謀する。

 かかる「戦争法案」に関する国会内の与野党攻防を反映し、安倍政権に対する国民世論は、依然として厳しい。世論は「戦争法案」は憲法違反であり、今国会会期中に結論を出すことに国民の過半数が反対している。そのことは、どのマスコミの世論調査結果でも明白だ。決して根拠なく、手前味噌で言っているのではない。

 従って、憲法違反の「戦争法案」は廃案にすべきであり、いかに「一強多弱」の国会とはいえ、「強行採決」は絶対に許されない。


「砂川事件判決の真実国会内緊急集会」で連帯あいさつ=9月4日、参院議員会館

 ところで、国会における「戦争法案」審議の中で、亡霊の如く蘇り、大論争の渦中にあるのが1959年12月16日の「最高裁砂川判決」(昭和34(あ)710号 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法(以下「日米安保条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法」という)違反事件)である。

 「最高裁砂川判決」をめぐる憲法学者や政治学者の著書、論文等は無数にある。

 私自身もそれらの著書・論文を大学生時代から弁護士、国会議員の現在まで読み耽ってきた。

 最近、私が興味深く読んだ「最高裁砂川判決」関連著書や連載記事を列記すると、(1)『すぐにわかる戦争法=安保法制ってなに?』(戦争をさせない1000人委員会編、七つ森書房)(2)『私たちの平和憲法と解釈改憲のからくり―専守防衛の力と「安保法制」違憲の証明』(小西洋之著、八月書館)(3)『砂川判決と戦争法案―最高裁は集団的自衛権を合憲と言ったの!?』(砂川判決の悪法を許さない会編、旬報社)(4)東京新聞連載「新聞と9条」砂川事件1~47」など多数である。

 そもそも「砂川事件」とは何か。

 1957年7月、アメリカ軍立川基地の拡張に反対する学生、労働組合員ら約300人が基地内に立ち入り、うち7人が「日米安保条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法」違反で起訴された事件である。起訴された7人のうち6人は約4.5m、残る1人は約2.3m基地内に立ち入った)

 私は、7人の元被告(現在「再審免訴」請求中)の一人である土屋源太郎さん(81歳。当時は明治大学生)と幾度となくお会いする機会があり、砂川闘争の現場における話を直に聴いている。

 「砂川事件」に対する一審判決は1959年3月30日、東京地裁(刑事第13部、伊達秋雄裁判長)で言い渡された。有名な「伊達判決」である。

  「伊達判決」の要旨は次の通りだ。

(1)「(憲法第9条は)自衛権を否定するものではないが、侵略的戦争は勿論のこと、自衛のための戦力を用いる戦争及び自衛のための戦力の保持も許さないとするものである」。

(2)「わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘らず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その他の存在を許すべからざるものである」。

(3)「軽犯罪法の規定よりも重罰をもって臨む刑特法第2条の規定は、憲法第31条に違反し、無効である」。

以上の理由等により、伊達裁判長は、被告人7人全員に無罪を宣告した。

 「伊達判決」に対し、東京地検は、最高裁判所に異例かつ異常な跳躍上告をした。この異例な跳躍上告と「砂川事件」最高裁審理の全過程には、当時の外務大臣、在日米大使館、田中耕太郎最高裁長官らが密談・密約を繰り返し、早期結審と一審判決の破棄を画策していたことが、新原昭治氏(国際問題研究家)、末波靖治氏(ジャーナリスト)、布川玲子氏(山梨学院大教授)らの調査・研究で明らかになっている。(詳細は別稿で論じたい)

 さて、安倍政権と自公巨大与党は「戦争法案」における集団的自衛権限定行使容認の論拠を「最高裁砂川判決」に求めているが、同判決は本当にわが国の集団的自衛権限定行使容認を判示したのであろうか。

 結論を先に言うと、答えはノーだ。「最高裁砂川判決」は集団的自衛権限定行使容認を認めていない。そもそも、一審「伊達判決」と「最高裁砂川判決」における最大の争点は、在日米軍が憲法第9条2項によって保持を禁じられた「戦力」に該当する違憲の存在であるあるかどうかであって、集団的自衛権は全く議論されていない。

 「最高裁砂川判決」の要旨(骨子)は、次のとおりである。

 (1)「(憲法第9条2項が)保持を禁止した戦力とは、わが国が主体となってこれを指揮権、管理権を行使しうる戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解するべきである」。

 (2)「(日米安保条約が)違憲なりや否やの法的判断は、純司法的判断をその使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまない。従って一見極めて明白な違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものだ」(いわゆる「統治行為論」)

 (3)上記(1)(2)を論拠に、1959年12月16日、最高裁大法廷は一審判決を破棄し、東京地裁へ差し戻す判決を言い渡した。

 差し戻し後の東京地裁は、1961年3月7日、被告人らに罰金2千円の有罪判決を言い渡し、判決は確定したのである。

 安倍総理は、衆議院「戦争法案」特委で「平和安全法制の考え方は砂川事件判決の考え方に沿ったものであり、判決の範囲内のものであります。この意味で、砂川事件の最高裁判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲ある根拠たり得るものであると考えているところでございます」と答弁している。ユクサーヤ!(嘘つきめ!)

 「最高裁砂川判決」を「戦争法案」が合憲であるとの根拠にして、亡霊の如く蘇らせた張本人は自民党の高村正彦副総裁である。

 高村氏は「最高裁砂川判決」の理由の中に「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べている点に着目し、次のように曲解する。

 「最高裁判決が判示する『自衛のための措置』とは、個別的自衛権とか集団的自衛権を区別せずに、わが国の保有する自衛権を一般的・包括的に表示しているので、ここでは集団的自衛権の行使も含意されている、少なくとも否定はされていないと読むことができる」。(同じ弁護士として、高村氏を「ユクサーヤ!」(嘘つきめ!)とまでは罵倒しないが、手前勝手な判決解釈を得意とする「法匪」と呼ぶことにしよう)

 大詰めを迎えた「戦争法案」について、多くの憲法学者や「法の番人」である元内閣法制局長官らが、明らかに憲法違反で、立憲主義を破壊するものだ、と衆参の特別委員会で証言した。

 この予期せぬ事態に狼狽した安倍総理は、違憲判断は学者ではなく、最高裁がおこなうものだ、と開き直った。

 その「憲法の番人」トップを務めた山口繁・元最高裁長官が去る9月1日、朝日新聞の取材に応じ、次のように述べている。

 「少なくとも集団的自衛権の行使を認める立法は、違憲と言わなければならない。我が国は集団的自衛権を有しているが行使はせず、専守防衛に徹する。これが憲法9条の解釈です」。

 「日本には自衛権を行使する手段がそもそもないのだから、集団的自衛権の行使なんてまったく問題になっていない。砂川事件の判決が集団的自衛権の行使を意識して書かれたとは到底考えられません」―。(9月3日付朝日新聞)

 山口繁氏の見解表明に、安倍総理は狼狽したに違いない。にもかかわらず、「元最高裁長官で『憲法の番人』だったとはいえ、今や『一私人』ですから」などと開き直る。

 ここまで書き記しているうちに、重大な報道に接した。

 9月15日付の朝日新聞によると、「最高裁砂川判決」に関わった入江俊郎・元最高裁判事(故人)が、同判決に関し「『自衛の為の措置をとりうる』とまでいうが、『自衛の為に必要な武力か、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない」とのコメントを残していることが分かったらしい。「最高裁砂川判決」において、集団的自衛権は検討されていないことがより明白になった。

 嗚呼。もはや安倍総理につける薬はない。「朕が国家」「朕が憲法」と思い込んでいる独裁者だ。

 かくなるうえは、安倍政権打倒のために全力を尽くすしかない。

 イギリスのジョン・アクトンいはく「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する」。

(2015年9月15日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 21:31憲法コラム

【憲法コラム】辺野古関連作業の1カ月停止と「集中協議」のもつ政治的意義

2015年08月06日



 猛烈な台風13号が沖縄地方に接近中との天気予報が刻々と伝わる中、8月4日午前9時30分過ぎに「あっと驚く」政治ニュースが飛び込んできた。

 「あっと驚く」政治ニュースとは、当日昼のテレビニュースを皮切りに、夕刊各紙が一面で報じ、翌朝の地元二紙と中央各紙が詳報している政府と沖縄県との1カ月にわたる「集中協議」期間の設定と、その間の辺野古埋め立て関連作業の全面停止である。

 私がこのニュースに接したのは、沖縄県議会与党第1会派「社民・護憲ネット」会派長であり、与党連絡会座長を務める仲宗根悟県議からの「合意文書」メモを秘書経由で受け取ったときである。直後に共同通信、琉球新報、毎日新聞記者らの取材攻勢を受け、菅官房長官と翁長知事の記者会見内容の詳細を知った。

 私は、菅官房長官と翁長知事が同時発表した1カ月限定の「集中協議」と「辺野古埋め立て作業中止」「沖縄県による埋め立て承認取り消し等の新たな法的・行政的手続き停止」などの合意について、政府、県それぞれの政治的思惑や意義について、完璧に知り得る立場にない。事前交渉に関する情報の詳細も当然知らない。

 発表当日、地元二紙からの求めに応じて、次のようにコメントした。

 「集中協議期間設定に伴う作業停止は、持続的な辺野古新基地反対運動の成果だ。政府は戦争法制反対による支持率低下の挽回策と絡めて手を打った。知事は公約を堅持し、正論をもって辺野古断念を説くべし」―と。

 コメントは100字足らずの短いもので、この問題に対する私の評価が言い尽くされている訳ではない。以下、コメントを敷衍して主張を述べることとする。

 まず、普天間基地の辺野古移設(実態は巨大な新基地建設)が「唯一の解決策」「この夏までに埋め立て着工」などと豪語し、国家権力を最大動員して埋め立て作業を加速していた政府が、1カ月とはいえ作業の全面停止に踏み切ったのは、辺野古・大浦湾海上とキャンプ・シュワブゲート前で、新基地建設反対の強い意思を堅持し、果敢に闘い続ける県民運動の「成果」であることは間違いない。

 ただ、「成果」ではあるが「勝利」ではない。一時的な「政治休戦」にすぎない。

 従って、最終的な「勝利」は、政府が辺野古新基地建設を断念したその時であり、そこへ追い込むまで闘いを持続しなければならない。

 次に、この期に及んで、なぜ政府が期限付きの「集中協議」と関連作業の全面停止に踏み切ったのか、である。

 地元二紙や中央紙、識者の評論、私のコメントにも書いたよう「戦争法案」の衆議院強行採決や安倍総理側近らの相次ぐ不適切・不穏当な暴言等による内閣支持率の急速な低下を受け、「夏までの埋め立て着工」による政権批判の強まりと一層の支持率低下を懸念したパフォーマンスである、と見て間違いなかろう。政府として沖縄の主張に耳を傾ける姿勢をアピールせんとの思惑が見え見えだ。単なる「アリバイづくり」との穿った見方があるのも頷ける。

 その証拠に、菅官房長官は4日の記者会見で、「集中協議」の場で「政府の普天間の危険除去と辺野古移設に関する考え方、そして全体の負担軽減について説明したい」とオウム返しのように語っている。

 一方で、翁長知事が「8月下旬から9月上旬」にも仲井真前知事による辺野古埋め立て承認「取り消し」を決断する―との政治日程も政府の判断に影響したであろう。

 私は、政府と沖縄県との「集中協議」の必要性を否定するものではない。

 同時に、現時点で政府に辺野古新基地建設を断念し、「県外・国外移設」による普天間基地の即時閉鎖・返還を真剣に追求しようとの意思(方針)が皆無であることも明確に捉えておきたい。

 「集中協議」期間中、沖縄県関係部局は、先に第三者検証委員会が「法的瑕疵(かし)」有りとしてまとめた報告書を精査し、予想される法廷闘争の準備を怠りなくやることが肝要だ。翁長知事を支える県議会与党議員や各市町村議員、市民らは、身体を休めても気は抜くことなく、辺野古現地における「次なる闘い」に備える必要がある。

 私は、今年の春先から「戦争法案」反対と辺野古新基地反対の闘いは深く繋がっており、二つの闘いを連動させて勝利することが「戦後70年」にわたって享受してきた平和と民主主義、憲法と立憲主義を守り、沖縄への構造的差別を打破することになる、と機会あるごとに訴えてきた。

 その思いは日増しに強くなる。二つの闘いは「人を殺し、殺される」戦争を拒絶する具体的な闘いだ。不戦を誓い、護憲に生きる決意と覚悟の闘いである。

 「集中協議」にあって、翁長知事には自信を持って「辺野古新基地建設阻止」の公約を堅持し、正論で政府に迫ってほしい。沖縄の戦後史と現状に照らし、歴代政権の不条理と政治の不作為を厳しく指摘のうえ、論破してもらいたい。

 正義は沖縄にある。ジュゴンが回遊し、生態系多様な生命の母なる辺野古の美ら海・大浦湾を破壊して、海兵隊がイクサ(戦争)をするためだけの辺野古新基地建設を断固阻止しなければならない。

 辺野古新基地建設反対も戦争法案反対も、そして「アベ政治を許さない」運動も、すぐれて憲法の平和主義、立憲主義を破壊せんとする「壊憲」勢力との闘いだ。アベ独裁政権打倒の闘いだ。

 最後まで諦めない者が勝つ、と信じて―。

 今日の憲法コラムはいつもと調子が違うが、多くの人に読んでもらいたい、と切に願う。


「辺野古座り込み1周年アクション」で挨拶=7月18日、キャンプ・シュワブゲート前


「戦争法案は廃案へ!県民集会」に参加=7月31日、沖縄県庁前県民ひろば

(2015年8月6日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 10:15憲法コラム

【憲法コラム】憲法9条と立憲主義を破壊するアベ独裁政治との終わりなき闘い

2015年07月17日



 昨日(7月16日)の衆議院本会議において、自民・公明の巨大与党は「数の力」でもって安保関連法案(「戦争法案」)を強行採決し、参議院へと送付した。

 振り返れば、国会への「戦争法案」提出前の4月30日、安倍総理が米議会上下両院合同会議において得意げに英語で演説し、「この夏までに法案を成就させる」と対米公約した時点で、「強行採決」ありきの出来レースは始まっていた。
 
 実際、法案が提出されると、安倍総理や閣僚らは、国権の最高機関であり、唯一の立法機関である国会を軽視し、非論理の答弁を繰り返して国会審議を形骸化させたのである。その挙句、国民の過半数以上が批判を無視して、強行採決の暴挙をやってしまった。
 
 アベ独裁政治による憲法9条と立憲主義の明白な破壊である。

 そのアベ独裁政治を与党の中で支えたのが「平和の党」の看板を掲げる公明党だった。もはや、公明党を「平和の党」と信ずる国民はほとんど皆無だろう。文字どおり、「平和の党」の看板は地に落ち、泥にまみれた。

 安倍総理が標榜する欺瞞に満ちた「積極的平和主義」を下敷きにした「戦争法案」が「違憲」(憲法違反)であることは論を待たない。
 
 同時に、安倍政権が戦争法案を「合憲」とする根拠である最高裁砂川判決や1972年政府見解が「合憲」の根拠たり得ないことは、圧倒的多数の憲法学者や歴代の内閣法制局長官らが論ずるとおりである。

 「戦争法案」に反対する国民世論は日増しに高まっている。逆に、アベ独裁政権の支持率は日増しに低下し、不支持率が上回っている。
 
 憲法学者だけでなく、1万人近い各分野の学者、演劇人、ジャーナリストが反対の声を挙げている。
 
 何よりも心強いのは、「戦争法案」成立によって、いつの日か(そう遠くない)徴兵され、戦地に送られ、殺し殺される可能性が高い若者たちが多様な反対運動を創り出していることだ。

 戦後70年。未だ「戦後ゼロ年」の基地の島沖縄に暮らす者として、「平和国家」から「戦争国家」へと向かうアベ独裁政治の暴走は断じて許せない。その一心で「戦争法案」廃案の日まで戦い続ける覚悟である。


戦争させない・9条壊すな!総がかり行動で連帯あいさつ=17日午後1時すぎ、国会正門前


 今日は、13時からの「戦争法案」強行採決糾弾、アベ独裁政治を許さない国会前行動に参加し、辺野古新基地建設反対闘争の現場に戻るべくこれから帰沖する。
 
 「戦争はしない、戦争はさせない」。そのことこそ国会議員に課せられた最大の使命だと考える。
 
 だから、あきめないで闘い続ける。アベ独裁政治に屈することなく闘い続ける。

(2015年7月17日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 13:41憲法コラム

【憲法コラム】沖縄を蔑視、侮辱する作家百田氏と自民党国会議員たち

2015年07月02日



 去る6月25日、安倍総理の「別働隊」「親衛隊」の自民党若手国会議員らで組織する「文化芸術懇話会」の勉強会に講師として招かれた作家の百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と暴言・妄言を吐き、沖縄中で強い抗議と批判が沸騰している。

 かかる百田発言は、勉強会に出席した長尾敬衆議院議員が「(沖縄二紙は)左翼勢力に乗っ取られてしまっている。二つの新聞によって沖縄の世論がゆがんでいる」などと述べ、百田氏に沖縄の世論を正す方策のアドバイスを求めたことに答えたものだ。

 百田氏は、長尾議員の質問に次のようなことも語ったようだ。

 「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」

 「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ。みんな」「ですからその基地の地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちだから、彼らは基地なんか出て行ってほしくない」―と。

 米軍普天間飛行場は、1945年の悲惨な沖縄戦終結、米軍占領開始と同時に強制接収された土地である。そのほとんどが私有地だ。

 戦前は10の集落が存在し、役場や郵便局、小学校(国民学校)などの公共施設や商店が立ち並ぶ地域の中心地であったことは、歴史的に公知の事実だ。

 百田氏の言説は、戦後沖縄の米軍基地形成過程に関する無知蒙昧、牽強付会で虚説以外の何ものでもない。調査不足、勉強不足を超えて、悪意に基づく意図的曲解による欺瞞である。断じて許せない。

 百田氏の軍用地主の地代収入に関する言説も事実誤認であり、不見識と指弾せざるを得ない。

 沖縄には、いわゆる軍用地主(地権者)が約4万3千人いるが、その半数以上(54.2%)の地代収入は年間100万円未満だ。500万円以上受け取っているのは約3,400人(7.9%)にすぎない。(平成23年度、沖縄防衛局調べ)

 宜野湾市軍用地等地主会によると、普天間飛行場の地主(3,354人)の48.5%(1,627人)が年間地料100万円未満で、1千万円以上は2.4%(81人)にすぎない、という。(6月27日付毎日新聞)

 地権者の逝去にともなう相続や生前贈与による細分が進み、一人当たりの受取額は年々減少しているのが実態だ。

 このような事実誤認も甚だしい一連の百田発言に、自民党出身の佐喜真淳宜野湾市長は、6月26日の記者会見で「普天間の歴史は戦争当時、米軍が接収したもので本来は地権者がいる。そこに帰りたい先祖代々の土地だ。その発言は極めて遺憾で残念だ」「市民をある意味、ばかにしている」と批判し、憤っている。

 宜野湾市議会は、6月29日の本会議で「(百田発言は)地主の尊厳を傷つけるもので容認できない。(「沖縄二紙はつぶさないといけない」との)発言は、表現の自由を封ずる言論だ」として、百田発言の撤回と謝罪を要求する抗議決議案を全会一致で採択した。

 百田発言に対しては、県議会はじめ那覇市議会など多くの市町村議会が抗議決議採択の動きを示している。

 ところで、自民党若手国会議員の安倍総理「別働隊」「親衛隊」の「文化芸術懇話会」勉強会では、大西英男衆議院議員が「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番だ」と述べ、百田氏ら文化人が経団連に働きかけて、政権批判をするマスコミ「懲らしめる」べき、だと発言している。まさに、安倍総理の威光を利用したマスコミ征伐、表現の自由・報道の自由封殺の勧めであり、断じて認められない。

 憲法第21条第1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。

 表現の自由は、個人の人格形成にとっても重要な権利であるが、とりわけ、国民が自ら政治に参加するために不可欠な権利である。民主主義の根幹をなす権利と理解すべきだ。

 報道の自由も表現の自由の保障に含まれている。テレビ、新聞などのマスコミ報道が国民の知る権利に奉仕するものとして重要な意義を持つことは、ほとんどの憲法学者が認め、判例上も確立されている。

 つい最近(今年2月末日)までNHK経営委員であった百田氏と政権党たる自民党若手議員らの「文化芸術懇話会」勉強会における一連の発言は、権力行使によって表現の自由・報道の自由を統制し、弾圧せんと目論むものだ。

 中でも、「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」「(沖縄二紙は)左翼勢力に乗っ取られてしまっている。二つの新聞によって沖縄の世論がゆがんでいる」との事実誤認に基づく不見識で不当な言論統制は許せない。

 百田氏や自民党若手国会議員らは、沖縄二紙が悲惨な沖縄戦の実相、「無憲法」の米軍支配下での不条理、「復帰」後今日までの「反憲法」下における国策の犠牲強要などを告発している事実を無視し、政権(権力)批判を展開する厄介者はつぶしてしまえ、と本気で思っているのだろう。露骨なまでの異論排除であり、権力による言論統制だ。

 私は、百田氏や自民党議員らの言論の自由を尊重する。だが、沖縄に対するいわれなき誹謗中傷、民主主義を破壊する言論統制には毅然として対決する。

 憲法第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めている。

 憲法を尊重擁護する義務を負っている国会議員が公然と憲法第21条を破壊する言説をおこなう。安倍独裁政権の“壊憲”策動の下で、自民党国会議員はかくも劣化したのか。言語、論理破綻をきたしたのか。

 私は、「文化芸術懇話会」に講師として百田氏を招き、一連の暴言・妄言を引き出す共犯関係をつくった自民党若手議員らの国会議員としての資格、資質は「永遠の0(ゼロ)」だと批判する。

 同時に、百田氏も発言内容が報道された直後は「雑談の中での冗談だった」と苦しい弁解をしたが、6月28日の大阪・泉大津市での講演では「今はもう本気でつぶれたらいいと思う」と述べ、自らの不明を恥じ入り、反省する態度も皆無(ゼロ)だ。

 おそらく、沖縄タイムス、琉球新報が編集局長名で共同抗議声明を発出し、百田発言の誤りを大々的に論証報道したことに対する逆ギレだろう。

 私は言う。百田氏の沖縄戦後史や沖縄の基地形成過程に対する知識・理解も「永遠の0(ゼロ)」だ。


【写真】沖縄選出野党国会議員で百田氏発言に抗議声明発出・記者会見=6月27日、沖縄県議会内

(2015年7月2日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 16:59憲法コラム

【憲法コラム】作家・百田尚樹氏の暴言・妄言に抗議する

2015年06月26日



 今日は朝からワジワジーして(怒って)いる。
 地元二紙で大きく報じられた昨日(6月25日)の作家・百田尚樹氏による沖縄と沖縄二紙への暴言・妄言に腹の底からワジワジーしているのだ。(中央紙でも小さく報じられている)

 報道によると、百田氏は、安倍総理に近い自民党の若手国会議員らによる憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」で、次のように暴言・妄言を吐いている。

 まず、米軍普天間飛行場の形成過程について「もともと田んぼの中にあり、周りには何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何年もかかって基地の周りに住みだした」と述べたらしい。
 

 現在の普天間飛行場内には戦前、役場や小学校、10の集落があり、民家や先祖代々のお墓もあったことは万人が認めるところだ。普天間飛行場は悲惨な沖縄戦終結後、国際法に反して強制的に接収されたのだ。
 作家だからといって、世界一危険な普天間基地の形成過程に関する歴史的事実を無視し、思い込みで勝手なことを発言するのは許されない。

 次に、勉強会に出席した関係者の証言によると、百田氏は軍用地主(地権者)について「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな」「ですからその地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちなんですよ」などと持論を展開したようだ。

 百田氏の「持論」はあまりにも馬鹿げていて、根拠の全くない妄言の類で反論する気にもなれない。一笑に付したい。断固抗議し、発言の撤回を強く求めたい。

 とはいえ、百田氏の誤った言説がもっともらしく流布され、ネット上に拡散されても困るので、指摘しておく。

 沖縄には、いわゆる軍用地主が約4万3千人いるが、その半数以上(54.2%)が年間地料100万円以下だ。500万円以上受け取っているのは約3,400人(7.9%)に過ぎない(平成23年度。沖縄防衛局資料)地権者の高齢化にともない相続が進み、1人当たりの受け取り額は年々減少しているのが実態である。
 ほとんどの地権者は、先祖の眠る土地の一日も早い返還を願っている。百田氏の指している「六本木ヒルズ暮らしの大金持ち」とは、軍用地を投機対象にしている土地ブローカーのことではないか。

 普天間飛行場の地主みんなが、年間何千万円もの地代を受け取り、六本木ヒルズに住んでいるなら、百田氏はその証拠も併せて開示すべきだ。それができないなら、百田氏の普天間基地形成過程に関する初歩的な知識は「永遠の0(ゼロ)」だ。

 あー、全くもって情けない。怒り心頭。このような悪意に基づく沖縄差別発言は許せない。

 極めつきは、勉強会に出席した議員から沖縄の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と主張したことである。

 百田氏の言説は、言論・報道の自由への干渉、弾圧にあたり、憲法21条に反するものだ。断じて許せない。

 百田氏の主張に呼応して、出席した議員からは、安保法制(いわゆる戦争法案)を批判する報道全般に対し「マスコミをこらしめるために広告収入をなくせばいい。文化人が経団連に働きかけてほしい」「沖縄は戦後、予算漬けだ。地元紙の牙城でゆがんだ世論をどう正すのか」などの批判もあったようだ。
 百田氏を招いた自民党若手議員らも国会議員の資格・資質は「永遠の0」だ、と言いたい。

 百田氏の暴言・妄言をウチナーとウチナーンチュは絶対に許さない。


6月26日付沖縄タイムス


(2015年6月26日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 13:40憲法コラム

【憲法コラム】「安保法制」(戦争法案)は「違憲法制」だ

2015年06月10日



 周章狼狽という言葉がある。手元の広辞苑によると「大いにあわてふためくこと」とある。

 去る6月4日、衆議院の憲法審査会で与野党推薦3人の参考人(いずれも憲法学者)全員が、衆議院特別委員会で審議中の安保関連法案(いわゆる戦争法案)を「違憲」だと断じた。

 その論理展開と結論は、誠にもって論旨明快で、憲法学者としての良識と良心に根差した意見だ。私は、3人の参考人の意見陳述をこの上なく痛快な気分で聞いた。

 片や、政権与党は周章狼狽し、「安保法制」(戦争法案)を「違憲法制」と指摘された影響の“火消し”に躍起になっている。

 衆議院憲法審査会で証言した参考人は次の方々である。いずれも日本の憲法学者の重鎮だ。

  ▼長谷部恭男氏(早稲田大学法学学術院教授・自民、公明、次世代推薦=後に自民単独推薦と訂正発表)▼小林節氏(慶應大学名誉教授・弁護士・民主党推薦)▼笹田栄司氏(早稲田大学政治経済学術院教授・維新推薦)

 国会の各委員会における参考人選任は、与野党が各々の立場から指名するのが慣例である。

 自民党は、党推薦の長谷部参考人にまで安保関連法案を「違憲」と断じられたことに周章狼狽しているのだろう。安倍総理も然りだ。

 6月4日の衆議員憲法審査会速記録(議事速報)を取り寄せて精読した。その日の会議は「立憲主義、改正の限界及び制定経緯」並びに「違憲立法審査の在り方」についての調査が主目的で、3参考人の出席を得ての意見聴取となった。

 冒頭3人の参考人から各20分の意見陳述があり、委員からの質疑応答に移っている。

 参考人3人による安保関連法案「違憲」表明は、民主党の中川正春委員が「先生方は、今の安保法制、憲法違反だと思われますか」「先生方が裁判官となるんだったら、どのように判断されますか」等と質したのに答えたものである。

 3参考人の「違憲」表明(意見陳述)全文を紹介したいが、紙幅が限られている。ここでは6月5日付沖縄タイムス掲載の「参考人発言要旨」を引用することにする。(おそらく、共同通信の配信記事と思われる)

 ▼長谷部恭男参考人「集団的自衛権の行使が許されるとした点は憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない。法的な安定性を大きく揺るがす。どこまで武力行使が許されるのか不明確だ。他国軍への後方支援活動は戦闘地域と非戦闘地域の区別をなくし、現場の指揮官に判断が委ねられる。その結果(憲法が禁じる)外国の武力行使と一体化する恐れが極めて強い。国連平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊の武器使用の範囲拡大は、必ずしも直ちに憲法に反するとは言えない」

 ▼小林節参考人「違憲だ。憲法9条は、海外で軍事活動する法的資格を与えていない。集団的自衛権は、仲間の国を助けるために海外へ戦争に行くことだ。後方支援は日本の特殊概念で、戦場に後ろから参戦するだけの話だ。兵たんなしに戦闘はできない。米国の部隊が最前線でドンパチやり、武器は日本が引き受ける、露骨な『戦争参加法案』だ。国会が多数決で法案を承認したら、国会が憲法を軽視し、立憲主義に反することになる」

 ▼笹田栄司参考人「内閣法制局は自民党(の歴代)政権と共に安保法制をずっとつくってきて、「ガラス細工」とは言わないが、ぎりぎりのところで(合憲性)を保っていると考えていた。今回は踏み越えてしまっており、違憲だ。政府が昨年に閣議決定した文章は、読めば読むほど、どうなるのだろうかとすっきり理解できなかった。国民の理解が高まるとは思えない。後方支援については小林名誉教授と同じく、大きな疑問を感じている」

 どうだろう。「参考人発言要旨」を熟読玩味すると、「安保法制」(戦争法案)が「違憲法制」であることが、よくよく理解できたのではないか。

 私は去る5月31日、安保法制についての10党責任者によるNHK「日曜討論」で「憲法9条はいかなる意味においても集団的自衛権を認めていない。『国際平和支援法案』と『平和安全法制整備法案』からなるいわゆる安保関連法案(戦争法案)は憲法違反であり、廃案にすべきだ」と主張した。



 ところで、6月4日の衆議院憲法審査会における3参考人の「違憲」指弾を受けた自民党の反応が信じられない。非常識かつ独裁的発想に基づく発言のオンパレードだ。

 菅官房長官は、6月4日の記者会見で「憲法解釈として法的安定性は確保されている」「違憲という指定は全くあたらない」などと反論し、法案審議に影響はないと強調した。

 船田元・自民党憲法審査会筆頭理事は「ちょっと予想を超えた。参考人の発言は一理あるが、現実政治はそれだけでは済まない」と釈明した。全く持って意味不明だ!

 二階俊博(自民党総務会長)は「(あくまで)参考意見で、大ごとに取り上げる必要はない」と開き直り、参考人の価値を下げようと必死だ。

 対する野党は、衆議院憲法審査会で、3参考人が他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認は「違憲」と断じたことで、「法案の根幹が揺らいでいる」として廃案をめざして徹底追及する構えを示している。

 かかる「安保法制」(戦争法案)の「違憲」論が沸騰する政治状況の中、ドイツで開催された先進7か国首脳会議(G7サミット)に出席した安倍総理が、記者会見で悪意の誤認に基づき次のように語った。

 「安保関連法案における集団的自衛権の行使容認は、憲法の基本的論理は全く変わっていない」―と。

 安倍総理は、安保関連法案を合憲とする根拠について1959年の最高裁砂川判決を挙げている。聞いて呆れる三百代言だ。

 政府も6月9日、安保関連法案を「合憲」とする政府見解を発表した。政府見解は、砂川判決を恣意的に拡大解釈して「合憲」の根拠としている。砂川判決の曲解、わい曲だ。顔を洗って判決文を読み直せ、と叫びたい。

 私は、2014年5月14日付の憲法コラム「砂川事件最高裁判決と集団的自衛権」で「砂川事件最高裁判決は個別的自衛権を認めたもので、集団的自衛権は認めていない」と批判した。その考えは今でも変わらない。私だけではない、変人奇人の学者や政治家を除き、ほとんどの憲法学者が同意見である。

 安倍総理よ、自民党よ、往生際が悪いぞ。「安保法制」(戦争法案)は「違憲」だと素直に認めて、今すぐ撤回もしくは廃案にせよ!

 だいたいが、積極的平和主義という欺瞞に象徴されるように、やたら「平和」で修飾して誤魔化そうとする発想自体が姑息なのだ。「平和」の裏に隠された「戦争」に、国民はとっくに気づいていると知るべきだ。

(2015年6月10日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 19:21憲法コラム

【憲法コラム】「平和と安全」の美名による憲法と沖縄の破壊

2015年05月20日



 沖縄は、去る5月15日をもって「復帰」43年の節目となった。沖縄の5・15「復帰記念日」である。

 奇しくも、安倍内閣は沖縄の「復帰」43年の節目の前日、安全保障法制関連法案(いわゆる「戦争法案」)を閣議決定し、翌5月15日に国会へ提出した。

 安倍内閣が国会へ提出し、今国会中に成立を期すと豪語する「戦争法案」は、集団的自衛権行使容認(解釈改憲)に基づき、自衛隊と米軍を一体化・融合化させ、世界的規模で「戦争ができる国づくり」を推進するものである。

 「戦争法案」が成立すると、憲法9条は実質無効化する。明文改憲によらずして、憲法に定める平和主義が崩壊し、日本は「平和国家」から「戦争国家」へと暴走するのは間違いない。

 安倍政権による憲法破壊(壊憲)の暴走を断じて許してはならない。護憲勢力の正念場だ。

 いわゆる「戦争法案」は、国際社会の平和が脅かされた際に、自衛隊が他国軍を後方支援する新規の「国際平和支援法案」、自衛隊法、武力攻撃事態法、重要影響事態法(現・周辺事態法)、PKO協力法などの個別法10本の改正法案を一括した「平和安全法制整備法案」の二本立てで構成されている。

 安倍総理は、5月14日の閣議決定後の記者会見で、以下のように述べている。

 「『戦争法案』などといった無責任なレッテルは全くの誤りだ。あくまで日本人の命と平和な暮らしを守るためにあらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行うのが今回の法案だ」

 「戦後日本は平和国家としての道をまっすぐに歩んできた。世界でも高く評価されている。私たちは胸を張るべきだ。しかし、それは『平和、平和』と唱えるだけで実現したものではない」

 「私たちは先の大戦の深い反省と共に70年、不戦の誓いをひたすらに守ってきた。これからも私たち日本人の誰一人として戦争など望んでいない。疑いの余地なはい」―などと。

 私も、議員会館居室で安倍総理の生中継記者会見を観ていたが、余りにもの嘘っぱち、誤魔化し、屁理屈の数々に反吐が出そうなほど不愉快になった。

 安倍総理は「積極的平和主義」の旗を掲げ、武器輸出三原則の廃止による「死の商人」への変身や文官統制の廃止など「積極的戦争政策」を推進し、「戦後レジームからの脱却」を叫んでは、歴史修正主義に基づく「村山談話」「河野談話」の実質破棄を目論んでいる。その安倍総理による“不戦の誓い”の欺瞞を見抜けないほど、多くの国民は能天気ではない。

 そもそも、法案の中身を偽り、国民を騙すために、法案名に「国際平和」とか「平和安全」などという耳触りのよい文言を冠するやり口からして怪しいのだ。国策の欺瞞と行政府による立法の謀略を国会審議で喝破し、院外の平和勢力と共闘して廃案を勝ち取りたい。

 5・15「復帰」43年の沖縄へと論を進めよう。

 1960年代初頭の中高生時代に、教師や周囲の大人たちが唱導する「祖国復帰運動」に身を投じていた私自身、「祖国(日本)」に甘い幻想を抱いていたことは素直に認める。大学生になって「復帰」が実現するまで「反戦復帰」を叫び、「核も基地もない」日本国憲法下への「復帰」を求めて闘いに参加したことも事実だ。

 そのうえで、1995年7月に国政の場に身を置き、委員会質問や質問主意書などの国会論戦で分かったことは、ウチナーとウチナーンチュが「復帰」後も憲法上の「国民」として扱われていない事実であった。憲法前文の平和的生存権がウチナーンチュには保障されず、ウチナーは軍事植民地として放置されていること、安保法体系と秘密法体系によって、憲法9条の「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」がウチナーは適用外である、ことも分かった。

 私は、自らの国会内外の活動を真摯に総括し、歴代政権と日米両政府への異議申し立てと提言の意味を込めて『ウチナーンチュときどき日本人』『沖縄から国策の欺瞞を撃つ』『憲法を求める沖縄 捨てる日本』の小著を上梓した。

 三冊の小著は、かつて「祖国復帰運動」に動員され、自らも進んで参加した者としての、また、祖国(日本)に裏切られ続けているウチナーンチュの一人としての反省録であり、自己決定権(将来的に独立をも指向する)を求める政治的、思想的営為の到達点である。

 私はこれまで、ウチナー選出の一国会議員として、基本的な政治信念を「ウチナーの未来は ウチナーンチュが決める」と定め、闘ってきたつもりである。いや、これからも闘い続ける。



 さて、「復帰」43年を迎えた今の沖縄の政治状況の中で、最も大きな課題は、日米両政府が国家権力を最大動員し、暴力的弾圧でもって強行推進する辺野古新基地建設の阻止である。

 ウチナーとウチナーンチュが「屈しない」心を堅持し、辺野古新基地建設阻止の闘いに勝利することで、安倍総理が企む集団的自衛権行使容認(解釈改憲)閣議決定による憲法9条の形骸化にとどめを刺す。同時に、「戦争法制」という“法の下剋上”による憲法9条実質無効化(明文改憲なき改憲=壊憲)にとどめを刺す。

 今年は敗戦70年、悲惨な沖縄戦終結から70年の節目である。

 芥川賞作家の目取真俊氏が2005年に出版した『沖縄「戦後」ゼロ年』で描いた状況は、安倍独裁政治の下、軍事植民地化したウチナーの今へと続いている。

 だからこそ、ウチナーンチュは「オール沖縄」という沖縄ナショナリズム(決して排外主義ではない)の旗印の下に団結して闘い、ウチナーンチュのアイデンティティー確立と尊厳を求め、辺野古新基地建設阻止に決起するのである。

 「復帰」43年の沖縄の運動は、国策に抗い、不戦を誓って護憲に生きることを志向(指向)する。その営みこそが憲法前文の平和的生存権の実践であり、憲法9条を実質化せしめ、同13条の〈個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重〉に繋がるものだ、と確信する。

 去る5月17日、「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が那覇市内の沖縄セルラースタジアムで開催された。

 その日、例年だと梅雨入りしている沖縄は、朝から炎天だった。

 沖縄県民大会には、親子三代の県内参加者、ヤマト(県外)、海外から辺野古新基地建設阻止に自立する連帯を寄せる仲間など3万5千人が結集した。会場には「屈しない」「辺野古新基地NO」と刷り込まれた辺野古の美ら海とウチナーの空を象徴する青色のメッセージボードが波のように揺れ、掲げられ、平和を求める声が怒号した。

 ウチナーの圧倒的民意を無視して強権的に辺野古新基地建設を進める日米両政府に対し、翁長知事は拳を振りかざして絶叫した。

 「ウチナーンチュ ウセーティ ナイビランドー」―と。

 翁長知事の叫びに呼応して3万5千人の参加者が一斉に立ち上がり、共感と連帯の拍手が鳴り止まなかった。



(2015年5月20日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 19:08憲法コラム

【憲法コラム】ズバリ「戦争法案」と言って何が悪いの!

2015年04月28日



 安倍内閣は2014年7月1日、閣議と国家安全保障会議で、新たな安全保障法制のための基本方針を示した文書「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を決定した。与野党各党や官僚、マスコミの多くは、この基本方針に基づいて作成される関連法案(11本)をまとめて「安全保障法制」と呼称する。

 安倍内閣は2014年7月1日の閣議決定を受けて、内閣官房国家安全保障局の下に法案作成チームを立ち上げている。

 一方、自公の巨大与党は去る4月20日、政府の新たな安全保障法制の基本方針について事実上了承した。そのうえで4月27日、安保法制11法案について実質合意した。

 この安全保障法制の自公与党合意を受けて、安倍内閣は来る5月15日頃にもかかる安保法制11法案を①「国際平和支援法」(新法制定)と②自衛隊法改正案など10本の法改正を束ねた一括法案―の2本立てにして閣議決定し、国会提出する運びのようだ。早ければ5月21日衆議院本会議で審議入りし、6月24日までの通常国会を8月10日頃まで大幅延長のうえ、衆参それぞれで80数時間程度審議して成立を図るつもりらしい。

 アキサミヨー、イチデージナタン(すわ、一大事だ)

 2014年7月1日に閣議決定された「安全保障法制の整備」とは、我が国に対する直接的な武力攻撃が発生しなくとも、我が国と密接な関係にある他国への武力攻撃が発生した場合に〈我が国の存立を全うし〉〈国民の安全を守るために〉集団的自衛権の行使を認める、との大前提に基づく。

 要するに、閣議決定のみで憲法解釈を変更し、集団的自衛権行使容認(解釈改憲)へと舵を切ったのである。断じて認めない。許されない。

 そのうえに、自衛隊の任務を大幅に拡大し、自衛隊を米軍と一体化・融合化せしめる国内法整備を企図するのが、今回の安全保障法制整備の実態である。

 ところで、いわゆる「安全保障法制」については、与野党間や市民運動団体、法律家団体等の間で様々に呼称されている。

 いわく「戦争関連法案」「戦争準備法案」「戦争立法」「戦争法案」―などである。

 私は、「安保法制」は“法の下剋上”により憲法9条を実質無効化する「戦争法案」だ、と強く批判している。したがって、ズバリ「戦争法案」と呼ぶ。

 さてさて、その「戦争法案」をめぐって、とんでもない騒動が参議院で起こっている。

 去る4月1日の参議院予算委員会で、社民党・福島みずほ議員が「安倍内閣は5月15日、14本から18本以上の戦争法案を出すと言われています」と切り出し、宮尾節子さんの「明日戦争が始まる」と題する次の詩を読み上げた。

 「まいにち 満員電車に乗って 人を人とも 思わなくなった インターネットの 掲示板のカキコミで 心を心とも 思わなくなった 虐待死や 自殺のひんぱつに 命を命と 思わなくなった じゅんび は ばっちりだ 戦争を戦争と 思わなくなるために いよいよ 明日戦争がはじまる」

 そのうえで、福島議員は安倍総理に「若者の過酷な労働条件の延長線上に本物の戦場がある」「格差拡大、貧困と戦争はつながっていると思いますが、総理、いかがですか」と質した。

 対する安倍総理が答弁でブチ切れた。

 「今も我々が今進めている安保法制について、戦争法案というのは我々もこれは甘受できないですよ。そういう名前を付けて、レッテルを貼って、議論を矮小化していくということは断じて我々も甘受できないと、こんなように考えているわけでありまして、真面目に福島さんも議論をしていただきたいなと、これは本当にそう思うわけでございます」―と。

 福島議員も怯まない。

 「戦争法案、これは集団的自衛権の行使を認め、後方支援という名の下にまさに武器弾薬を提供するわけですから、戦争ができることになる、そういうふうに思います。これを戦争法案、戦争ができるようになる法案ですから、そのとおりです」ときっぱり。

 騒動の予兆はあった。岸宏一参議院予算委員長は「福島議員の発言中、不適切と認められる言辞があったように思うので、後刻理事会で速記録を精査の上、適当な処置をとることとする」旨言い渡していた。

 案の定、去る4月17日に自民党・堀井巌参議院予算委理事が福島議員に面会を求め、「戦争法案はやめていただきたい。『戦争関連法案』とか『戦争につながる法案』とかに修正できないか」と迫ったようだ。全く呆れたね。

 憲法第51条は「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」と定めている。

 憲法第51条の目的は、国会における言論の自由を最大限に保障し、国会議員がその職務を行うにあたって、その発言についていささかも制約されることがないようにしよう、との趣旨に出たものである。

 また、憲法第21条第1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。

 どうやら、自民党参議院予算委理事らは、憲法第51条や第21条第1項の規定を知らないらしい。

 自民党の福島議員に対する議事録修正要求は、多数与党の言論封殺であり、異論や少数意見を認めない反憲法的圧力行為である。民主主義の根本理念なる表現の自由と国会議員の質問権の侵害だ。


【写真】4月23日、衆議院安全保障委員会

 去る4月23日、衆議院安保委員会において防衛装備庁の新設を含む防衛省設置法改正に関する参考人質疑があった。私は西川純子参考人(獨協大学名誉教授)に「『武器輸出三原則』が『防衛装備移転三原則』に変わったこと、防衛装備庁新設の問題点」などについて質問した。

 西川参考人は、私への答弁の中で「・・・今回のいろいろな施策、これを戦争立法と言った方が大変非難されておりますけれども、私も戦争立法という言葉をあえて使わせていただきますが・・・」と明快に述べた。そのとおり、「戦争法案」も「戦争立法」も「安保法制」の本質をえぐり出す言葉なのだ。

 福島議員の「戦争法案」発言に対する自民党の修正要求を社民党も福島議員本人も断固拒否している。

 私に言わせれば、「修正」すべきは福島議員の発言ではなく、自民党参議院予算委理事らの「おつむ」の方だ。ハイ、オツムテンテン。

 福島議員の「戦争法案」発言に対する自民党の修正要求に対し、民主党・細野豪志政調会長は「異なる意見をしっかり戦わせるのが国会の大きな仕事であり、民主主義の本質と言える部分。この部分を今の安倍政権、自民党は全く理解していないのではないか」。維新の党・松野頼久幹事長は「政府・与党が気にくわない発言だから削除だということが行われるようであれば、国会は成り立たない」―と述べるなど野党各党から批判が渦巻いている。

 共産党・志位和夫委員長も「横暴かつ傲慢かつ恥ずべき要求は取り下げるべきだ」と自民党に対し、修正要求の撤回を求めている。

 福島議員よ、1940年の帝国議会衆議院本会議で軍部の暴走を批判した立憲民政党・斎藤隆夫議員による「反軍演説」に学び、一切妥協せず、自民党参議院予算委理事らと闘うべし。

(2015年4月28日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 22:04憲法コラム

【憲法コラム】「護憲の寒椿」「不戦の薔薇」―土井さんの遺志を受け継ぐ

2015年04月15日



愛称「おたかさん」こと土井たか子さんが逝ってしまってから、早や7ヶ月が経過した。

 その間、衆議院本会議場や党本部会議室、辺野古新基地建設阻止闘争の現場などで、お元気な頃の土井さんを思い出すたびに、私の喪失感は深まるばかりである。

 特に、辺野古・大浦湾の海上抗議行動、キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動で、国家権力のすさまじい強権行使に茫然と立ちすくむ一瞬、「寛徳さん、何をひるんでいるの。駄目なものは駄目、やるっきゃないのよ。ウチナーンチュの尊厳と憲法の平和主義に反する辺野古新基地建設には断固反対するのよ!」と土井さんの叱咤する声が耳に届く。

 そのような土井さんの幻聴に「そうだ、たとえ日米の強大な権力が相手でもナランンセーナラン、ガッティンナラン」と自らを鼓舞し、シュプレヒコールを叫び、拳を突き上げるのである。

 通常国会は、5月の連休明けにも、昨年7月1日の集団的自衛権行使容認(解釈改憲)閣議決定に基づく安全保障法制(戦争立法)の審議入りが万端整いつつある。自公の巨大与党と一部野党が歩調を合わせ、「戦争ができる国づくり」へと暴走する気配が濃厚だ。

 大げさに言うつもりはないが、今年3月下旬に自公両党が合意した文書「安全保障法制整備の具体的方向性について」は、「明文改憲」をせずに“法の下剋上”による実質的な憲法9条の無効化を狙ったものであることは明々白々だ。

 奇しくも今年は敗戦から70年の節目である。土井さんは、ご自身が阿鼻叫喚の神戸大空襲から生き延び、学者・政治家として一貫して「二度と戦争をしてはいけない。戦争をさせていけない」と生涯を賭けて闘ってくださった。

 その戦争を憎み(拒否し)、平和を愛する思想に根ざして、護憲の政党たる社会党・社民党の衆議院議員(党首)として国会内外で粉骨砕身、八面六臂の大活躍。「歩く憲法」「憲法と結婚した」とも称された。

 政界引退後は、佐高信氏(評論家)、落合恵子さん(作家)らと「憲法行脚の会」を組織し、全国を駆け巡っていた。

 早野透氏(桜美林大学教授)が「月刊社民」4月号に「土井さんは寒さの中で花開く『護憲の寒椿』だった」と書き記している。

 佐高信氏も「土井さんとのお別れ会」で、亡父(書家佐高兼太郎)が色紙に書いた、映画監督五所平之助がつくり女優山田五十鈴に捧げた俳句「生きることは一すじがよし寒椿」が生前お気に入りであった事を紹介し、「寒空に負けず凛として咲く椿はまさに土井さんです」との弔辞を述べておられた。

 私のところに、「不戦の誓い 命どぅ宝」「沖縄の心 命どぅ宝」と書いた土井さんの色紙がある。土井さんご本人は「すみれの花が好き」と生前に語っているが、私はランドセル俳人の小林凛が詠んだ句である「冬の薔薇 立ち向かうこと 恐れず」が好きで、土井さんは「不戦の薔薇」だったように思う。

 土井さん、いよいよこの国は暗い冬の時代に突入せんとしております。この時代に「護憲の寒椿」「不戦の薔薇」として、私たちの心の中で咲いていてください。

 「やるっきゃない」「駄目なものは駄目」と喝破し、焼き芋が大好きで、おはこに「マイ・ウェイ」「サントワマミー」を朗々と歌いあげた土井さん。社民党県連は、4月25日午後4時から、那覇市古島の教育福祉会館(高教組)にて「土井さんを語る会」を開催します。会費千円。

 当日は、土井さんが来県の折、足繁く通った「ナークニー」の上原正吉氏も三線を弾き、土井さんを偲びます。多くの県民のご参加をお待ちしております。


【写真】来県した土井さんと

 追伸。今回の憲法コラムは、沖縄での「土井さんを語る会」の告知を兼ねて地元紙へ投稿予定の原稿に加筆し、まとめたものです。

 私は、すでに二回にわたって、憲法コラムで土井さんと憲法について書き綴ってきた。今回、改めて党ホームページや本コラムをご覧になっている皆さん、県外・海外在住のウチナーンチュの皆さんに、土井さんとウチナーの深い繋がりを知っていただこうと考えた次第である。

(関連)
第175回(10月2日) 「憲法と結婚した」土井さんを悼む
第179回(1月14日)土井たか子さんの「護憲論」と「非戦論」

(2015年4月15日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 18:35憲法コラム

【憲法コラム】違憲の刑特法による違法な逮捕

2015年03月10日



 去る3月22日午前9時5分頃、沖縄平和運動センター議長・山城博治さんと市民1人が刑特法違反容疑で逮捕された。(2人とも留置先の名護署から那覇地検に送致されたのち、翌23日夜には釈放された)

 その日は「止めよう辺野古新基地建設!国の横暴・工事強行に抗議する県民集会」が午後1時から開会される予定であった。同時に、午前10時には沖縄選出野党国会議員、超党派の県議会議員らで漁船をチャーターして、強行されようとしているボーリング調査等の状況視察と海上抗議行動も計画されていた。

 当日、朝早くから準備万端相整う。ところが、辺野古に出発する直前に「悪天候で波浪が高く、海上視察・抗議行動は中止する」との電話連絡が入ってきた。残念至極だ。

 午後からの集会に備えていると、間もなく「山城博治さんが米軍によって拘束され、キャンプ・シュワブ内に連行された」とのネット情報に接した。急いで地元紙電子版を確認すると、事実であることがわかった。すぐに辺野古に向かう。

 キャンプ・シュワブゲート前に到着すると、多くの市民らが山城博治さんらの逮捕に抗議し、即時釈放を求めていた。抗議の市民らに加わって県警、沖縄防衛局の現地指揮官らに状況説明を求めたが拒否(完全無視)される。

 私や野党国会議員らが、山城博治さんらの逮捕された地点(基地内と国道沿いの黄色いペンキで引かれた境界線)より基地側に入り込んで「(故意に)入ったから逮捕してみろ!」と絶叫するも、全くの梨の礫・・・。

 予定通りに開会された集会には約2,800人(主催者発表)の県民が参加した。集会では実行委員会共同代表、阻止行動市民代表、高校生代表らが、国家権力を総動員しての辺野古新基地建設強行を厳しく糾弾し、阻止するまで粘り強く闘う決意が表明された。同時に、山城博治さんらの不当逮捕に抗議し、即時釈放を求める声が挙がった。

 集会を終えて名護署に直行する。名護署は正門、裏門を閉ざし、制服警官を多数配置して構内への出入りを完全にシャットアウトしていた。

 「弁護士の照屋寛徳だ」と名乗り、「接見に来たから直ちに署内に入れろ」と要求するも、約5~6分接見妨害される。接見のため、先に入構していた三宅弁護士らも駆けつけ、「照屋さんは国会議員だが、弁護士でもある」と一悶着あり、ようやく署内に立ち入る。

 名護署留置場で山城博治さんに接見する。接見中も「不当逮捕だ!即時釈放せよ!」の叫び声が聞こえてきた。翌日の報道で、約500人の仲間が名護署を取り囲み、抗議行動をおこなったことがわかった。

 私から拘束時及び基地内連行時の状況、逮捕・連行時の負傷の有無等をつぶさに聴取した。そのうえで、今度の件で「刑事特別法違反で立件・起訴されることは100%ない。狙い撃ちの見せしめ逮捕で不当だ。勇気を持て、決して屈するな」と励ました。

 山城博治さんらとの接見を終え、心配して名護署に押しかけてくれた500人余の仲間に一部始終を報告し、「不当弾圧に屈せず、最後まで共に頑張る」との二人からのメッセージを伝えた。

 山城博治さんらとの接見中、脳裏に浮かんだのは、県道104号線越え実弾演習の実力阻止闘争に絡む刑特法裁判(喜瀬武原闘争事件)であった。

 1976年9月17、18日の両日、在沖第12米海兵連隊が県道104号線を封鎖して、105ミリ砲と155ミリ砲の実弾射撃演習を予定していた。

 沖縄本島西海岸の恩納村安冨祖(あふそ)から同村喜瀬武原(きせんばる)を通って東海岸の金武町金武に至る8,320メートルの県道104号線は、両村民や近隣住民の生活道路で、通勤・通学路である。県道104号線は、当時その一部が米軍への提供施設に編入され、道路管理権は沖縄県、施設管理権は米軍=防衛施設庁(現防衛省)が有するという変則的な県道であった。

 当時、米海兵隊は県道封鎖のうえ、金武町中川近くのGP15、GP16の砲座から恩納岳の麓に核・非核両用の155ミリ榴弾砲等を撃ち込む演習をおこなっていた。演習による山火事、水源地汚染、住宅地への流弾事故、自然破壊と学習環境破壊等の深刻な被害に住民は苦しめられていた。

 原水爆禁止沖縄県協議会傘下の労働組合、革新政党、市民団体らが、着弾地潜入闘争を果敢に決行した。山頂付近で発煙筒を焚き、狼煙を上げ、一発の砲弾も撃たせない阻止行動を数度にわたって展開していた。

 決死的な着弾地潜入闘争に焦った日米両政府は、広大な演習場を有刺鉄線のフェンスで囲い、迂回道路を新設して刑特法による逮捕・弾圧体制を強化した。

 その結果、1976年9月17、18両日の実弾演習を阻止された米軍は、沖縄県警に要請し、北部地区労書記の仲村善幸(当時。現名護市議)ら4人の労働者を刑特法第2条違反で逮捕、強制捜査のうえ、起訴したのである。

 刑特法の正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法」である。(昭和27年法律第138号)

 同法第2条は「正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設又は区域であって入ることを禁じた場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない者は、1年以下の懲役又は2千円以下の罰金もしくは科料に処する」と規定する。

 軽犯罪法(昭和23年法律第39号)第1条は「次の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する」と規定し、第1号から34号までを列記する。第32号には「入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなく入った者」と定めている。

 刑特法は軽犯罪法に比べ、はるかに重罰をもって米軍基地を守っている憲法違反の法律だ。憲法法体系を侵蝕し、優越する安保法体系の一つである。

 喜瀬武原事件で逮捕された4人の労働者は、決死の思いで確信犯的に着弾地に潜入し、実弾射撃演習を阻止したために逮捕・起訴された。沖縄で大衆運動に刑特法を適用した初の事件であり、裁判だった。

 一方、山城博治さんらの逮捕は、故意による基地侵入でもないのに狙い撃ち逮捕した点で、喜瀬武原事件と決定的に異なる。

 共通するのは、喜瀬武原事件も山城博治さんらの不当逮捕も、実弾射撃演習と辺野古新基地建設という国家暴力に対し、ウチナーンチュの尊厳回復を求めた決死的闘い(抵抗権行使)の中から発生したことである。

 喜瀬武原事件の刑特法裁判で弁護団長を務めた伊達秋雄弁護士は「硝煙の日々―沖縄・刑特法裁判闘争の記録」に次のような一文を寄せている。

 「これまでの歴史は、日本を含め国の安全と防衛の中心を軍備におき、さらに進んで自国の発展を戦力と戦争を手段として他国を侵略する軍国主義に置いていた。日本国憲法は、世界に先駆けて軍国主義を放棄したばかりでなく、国の安全と防衛についてさえ、戦力を用いないことをきびしく宣言したのであった。この平和的方法によって国民生活の福祉の増進と個人の基本的人権を確保しようとした。

 このような革命的ともいえる国の大方針に反するものは違憲・違法として拒否されるべきであり、憲法を守る義務と利益をもつ国民一人ひとりは、これに対して相応の抵抗権をもつものというべきである。

 本件における無謀な米軍実弾演習は、まさに米軍・日本政府の一体となった憲法上の平和主義に反する集中的な表現とみるべきであり、被告らの決死的な行動は、まさに平和憲法の具体的な実現であった。それはまた、反戦平和を念願する沖縄県民の総意を代表するものであった」―と。

 抵抗権は立憲主義を支える基本理念だ。日米両政府の圧政と暴政に抵抗することは、ウチナーンチュの正当な権利である。

 辺野古新基地建設阻止の闘いは、自然権たる抵抗権の正当な行使による非暴力闘争である。「違憲の刑特法による違法な逮捕」をした日米政府権力こそ裁かれるべきだ。


3月7日、辺野古


(2015年3月10日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 20:17憲法コラム

【憲法コラム】杉本さんへの旅券返納命令と憲法の「渡航の自由」

2015年02月12日



 岸田文雄外務大臣は去る2月7日、イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」が一部を支配するシリアへの渡航を計画していた新潟市のフリーカメラマン杉本祐一氏(58歳)に対し、旅券法第13条第7号に基づく「一般旅券返納命令書」を発布のうえ、旅券返納を命じ、即時執行した。

 杉本氏は、マスコミ各社の取材に応じ、外務大臣の旅券返納命令は、報道の自由や渡航の自由を不当に規制するものだ、と怒りを表明し、強く批判している。

 そのうえで杉本氏は、近く行政不服審査法に基づき、外務大臣宛てに旅券返納命令への異議を申し立て、覆らなかった場合、処分取り消し請求訴訟を提起する方針のようだ。(2月9日付朝日新聞夕刊、2月10日付東京新聞)

 杉本氏は、マスコミ取材に対し、返納命令書を読み上げた外務省旅券課の職員から「(返納に)応じなければ逮捕もありうる」と告げられ、「逮捕されると母親や支援者に迷惑をかけると思い」、苦渋の決断で旅券返納命令に従った、と説明している。(菅官房長官は、その場で逮捕するとは言っていない、と否定するコメントを発表)

 マスコミ報道で知り得た杉本氏への旅券返納命令の経緯は概略以上のとおりで、事態は訴訟沙汰への発展も見込まれるなど、極めて流動的である。そのことを前提に、杉本氏への旅券返納命令が憲法に定める「渡航の自由」「表現の自由」「報道の自由」との関連で、看過できない重要な問題だと思い立ち、コラムを書き綴ってみる。

 当然、この問題については賛否両論あるものと予測する。

 日本国憲法第22条は、次のように居住・移転・職業選択・国籍離脱の自由について定めている。

 第1項「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」。第2項「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」。

 また、世界人権宣言第13条は「(1)すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する」。「(2)すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する」と定めている。

 日本国憲法第22条が定める自由の内容については、学説上諸説ある。日本国憲法第22条第1項が職業選択の自由と並べて、居住・移転の自由を保障していることに照らし、居住・移転の自由を経済的自由に分類する考え方が伝統的だ。

 一方、近時では、単に経済的自由としてだけではなく、人身の自由、表現の自由、人格形成の自由といった多面的・複合的性格を有する権利として理解されるようになっているようだ。(野中俊彦ら共著『憲法Ⅰ第5版』有斐閣)

 私自身は、(1)人身の自由は、ただ単に消極的に拘束されないというだけでなく、より積極的に自らその好むところへ移動する自由を含むこと。(2)集会・結社・集団行進などの抑圧が、居住・移転の制限という形をとって行われうること。(3)居住・移転の自由は、人格の陶冶(とうや)に寄与するという意味で、人間存在の本質的意義を有する―等の説明理由に納得し、後者の考えに従いたい。

 さてさて、本題の海外渡航の自由について論じてみよう。海外渡航とは、広くは憲法第22条第2項の外国移住の自由として保障され、狭義には一時的な外国旅行を意味する、と解されている。

 海外渡航(外国旅行)の自由が憲法上保障されていることについては、今日争いがない。ただ、その根拠規定についての学説・判例は、「憲法第22条第2項説」「憲法第22条第1項説」「憲法第13条説」の3つに分かれる。

 私は憲法学者でもないので、どの説が正しいのかを論じる資格はない。そのうえで現在の私は、日本国憲法第22条第1項は、広く人の移動の自由を含む国内における居住・移転の自由を保障し、同条第2項は、外国旅行及び外国に移住する自由を保障している―と解する学説・判例に賛成する立場だ。

 「渡航の自由」(海外旅行)の憲法論的考察が続いたが、具体的に杉本氏への旅券返納命令の持つ問題点に論及する。

 まず、前提として「旅券とは、渡航許可証の性質を有するものではなく、渡航者と旅券保持者の同一性を公に証明し、滞在国に保護を依頼するために政府が発行する身分証明書」との理解を共通に立論する。

 旅券法第19条は「外務大臣又は領事官は、次に掲げる場合において、旅券を返納させる必要があると認めるときは、旅券の名義人に対して、期限を付けて、旅券の返納を命ずることができる」と定め、第1号から第5号まで該当理由を明記する。

 杉本氏の場合、第4号の「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」に該当するとして、外務大臣から旅券返納を命ぜられたのだ。一般旅券返納命令書には「期限内に返納されなかった場合、(旅券は)その効力を失うとともに、旅券法第23条第1項第6号により罰せられる(5年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金)」とも付記されている。

 菅官房長官は、2月9日の記者会見で「返納命令は杉本氏の生命、身体を保護するためだ」「憲法が保障する報道の自由、移動の自由は当然、最大限尊重されるものだ」「その一方で、海外の邦人の安全確保は極めて重要な政府の責務。そうしたことを前提に、ぎりぎりの慎重な検討を行って判断した」などと説明している。

 私は、「イスラム国」による極悪非道な湯川遥菜さん、後藤健二さん虐殺を決して許さない。衆議院における「イスラム国」非難決議の提出者にも名前を連ねた。海外における邦人の生命・身体の安全を守ろうとする政府の姿勢にも一定の理解を寄せる。(ただし、「イスラム国」の人質事件を契機に、安易な自衛隊の救出作戦参加の議論には反対する)

 一方で、危険を省みずに戦争や紛争を報道してきたジャーナリズムの果たす役割と使命も高く評価する。

 ましてや、今回の杉本氏に対する旅券返納命令は、憲法が保障する渡航(海外旅行)の自由、人身の自由、表現・報道の自由、人格形成の自由との関連で、真剣に熟慮する必要があると思う。旅券法第19条第4号の抽象的規定で、憲法第22条第2項の渡航(海外旅行)の自由が損なわれてはならない。

 少なくとも、政府の意向(旅券返納命令)によって、本来自由闊達で国民の知る権利に資するジャーナリズムの精神が毀損され、フリージャーナリストの取材・報道活動が委縮し、制限されるような事態は、この国の民主主義の死を意味する―と警鐘を乱打するものである。


2月10日付東京新聞

(2015年2月12日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 18:18憲法コラム

【憲法コラム】戦後50年「村山談話」と戦後70年「安倍談話」

2015年02月05日



 私が初めて国会議員に当選したのは、1995年7月23日に施行された参議院選挙である。当選翌日が私の50歳の誕生日だったので、今でも鮮やかに記憶している。

 国政選挙に初挑戦の私は、出馬表明の記者会見で「個人史とこの国の戦後史を重ねる中で、『基地の島』沖縄からこの国の戦後民主主義を問うてみたい」などと、当選の見込みもないのに随分と気負った(無謀とも思える)抱負を語ったものだ。

 私は、当時の社会党推薦の革新・無所属候補として、自民党現職、共産党新人と三つ巴で定数1を争う沖縄選挙区で戦った。結果は、マスコミをはじめ大方の予想に反し、私が当選してしまった。まさに青天の霹靂だ。

 当時は自社さ連立政権で、総理大臣は社会党委員長の村山富市氏であった。私は、当選後に無所属で社会党と会派を組み、いきなり連立与党の一員になった。

 私が参議院議員としての活動を開始した直後の8月15日、「戦後50年に際しての談話」が閣議決定を経て、村山富市総理談話(「村山談話」)として発表された。

 最近では、タカ派文化人や歴史修正主義者らから「村山談話」に対する悪口雑言、誹謗中傷などがあるが、私は「村山談話」発出当時から現在に至るまで、「村山談話」こそ正しい歴史認識に基づいて、わが国の非戦と平和創造の決意を国際社会に表明した歴史的談話である、と高く評価している。

 紙幅の都合で「村山談話」全文を紹介できないのは残念だ。それでも「村山談話」の次の一節だけは強く、深く記憶に刻みたい、と念じつつ書き記しておく。

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもない歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」―と。

 私は、「村山談話」こそ戦後50年の節目に発出された「平和国家日本」の宣言であり、アジア諸国との平和外交、平和交流の土台だと考える。

 「村山談話」については、多くの識者による評論文があるが、私が読んだ中で感銘を受けたのは、村山富市・佐高信共著『「村山談話」とは何か』(角川書店、2009年)である。

 前掲書では「村山談話」誕生までの閣議秘話も紹介され、政治家・村山富市の生い立ち、政治信念、総理としての覚悟などが詳述されている。必読に値する著書だ。

 前掲書の中で、佐高信氏は次のように述べている。

 「戦争直後に作られた憲法も大事だけど、村山談話も戦争の実感がつくりあげた財産です。日本国憲法が総論だとすれば、村山談話は各論のようなものだ」―と。極めて意味深長だ。

 さて、今年は悲惨な沖縄戦終結から70年、太平洋戦争敗戦から70年の節目の年である。

 昨今、戦後70年「安倍談話」について話題騒然、議論沸騰している。その口火を切ったのは、安倍総理本人である。

 安倍総理は、去る1月25日のNHK番組で、8月に発表予定の戦後70年「安倍談話」について「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍内閣としてこの70年をどう考えているかという観点から談話を出したい」と述べた。

 この安倍総理のNHKでの発言の後、様々なマスコミや開会中の衆参国会審議の中で、戦後50年「村山談話」、戦後60年「小泉談話」、そして発出予定の「安倍談話」をめぐる議論が活発に展開されている。当然ながら、議論は「談話」の単なる形式的な文章表現にあるのではない。「村山談話」の精神継承と安倍総理の歴史認識そのものが鋭く問われているのである。

 戦後50年「村山談話」は、その後の歴代内閣がそろってこれを踏襲してきた。

 第一次安倍内閣も「村山談話」について、「私の内閣で変更するものではない」明言した。

 第二次安倍内閣では「安倍内閣として村山談話をそのまま継承している訳ではない」と発言する一方で、「安倍内閣として歴代内閣の立場を引き継いでいる、侵略や植民地支配を否定したことは一度もない」と述べるなど優柔不断、迷走発言に転換した。

 そして、今や第三次(大惨事)安倍内閣である。

 ここに至って、安倍総理の本音が段々と明らかになった感がある。安倍総理は、口先では「村山談話、戦後60年の小泉純一郎首相の談話を全体として受け継いでいく」と繰り返す一方で、「今までのスタイルをそのまま下敷きとして書くことになれば、今まで使った言葉を使わなかった、あるいは新しい言葉が入ったという細々(こまごま)とした議論にならないよう、70年談話は70年談話として出したい」と強弁する。

 そのうえで「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」などのキーワードを同じように使うかと問われると「そういうことではない」と言下に否定している。

 念のため、戦後60年「小泉談話」の歴史認識に関する一節も引いておこう。

 「また、わが国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です」―。


韓国にて講演する村山元総理=2014年2月

 ここまで私の拙いコラムをお読みいただいて、お分かりだろうと思います。

 戦後50年「村山談話」、戦後60年「小泉談話」とも、かつてわが国が「国策を誤り」「植民地支配と侵略」で「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛」を与えた「歴史の事実を謙虚に受け止め」、「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明しているのである。

 どうやら、国会論戦やマスコミ報道における言動に照らすと、安倍総理は「村山談話」「小泉談話」の極めて重要なキーワードを「細々とした議論」だと一蹴し、歴史修正主義に基づく安倍流「積極的平和主義」を前面に押し出して、戦後70年「安倍談話」を発出せんとしているようだ。8月15日のその日まで、注目して監視したい。

 今はただ、安倍総理に統一ドイツの初代大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏の次の言葉を贈りたい。

 「過去に目を閉ざす者は結局のところ政府にも盲目となる」(戦後40年、西ドイツ(当時)の首都ボンにおける連邦議会演説)

 「過去を否定する人は過去を繰り返す危険を冒している」(戦後50年来日時の講演)

(2015年2月5日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 17:14憲法コラム

【憲法コラム】土井たか子さんの「護憲論」と「非戦論」

2015年01月14日



 社民党名誉党首の土井たか子さんが逝(い)ってしまってから早や100日余が過ぎた。この間、深い深い哀しみと喪失感にさいなまれてきた。

 土井さんとの思い出や“啓示”ともいうべき数々の教えについては、別稿の「『憲法と結婚した』土井さんを悼む」(2014年10月2日付「憲法コラム」)に書き綴った。

 私が土井さんの訃報に接したのは昨年9月28日である。この日、沖縄の「ミニ統一地方選」の出発式や陣中見舞いに駆け回っている最中のことだった。

 土井さんが逝去されたのは9月20日―。訃報が各メディアで報じられ、私の耳に入ったのは、ご家族による密葬が済んだ後の9月28日である。その日から「初の女性党首」「初の女性衆議院議長」である政治家・土井たか子の業績や人間的な魅力、エピソードが多くの識者、政治家らによって語られ、論評された。

 同時に、「憲法と結婚した」土井さんの護憲論、憲法を体現した土井さん、衆議院議長を退いた後も「憲法行脚の会」の活動に精根を傾けた土井さんに関するマスコミ評伝があった。

 私は、それらの子細に目を通したつもりである。土井さんの著作も読み返した。逝去後の関連記事や資料もファイル一冊分纂(あつ)まった。

 沖縄は、夏の「ミニ統一地方選」が終わると、11月16日の県知事選挙を迎えた。

 土井さんは、「本土」復帰後の県知事選挙では毎回のように「革新統一」の知事候補応援に来県された。特に、1990年の大田昌秀候補(知事を2期務めた後、土井さんに請われて社民党公認参議院議員に当選)の応援演説は、ウチナーウマンチュの心を打ち、魅了した。

 土井さんがお元気であれば、「オール沖縄」の「建白書」理念実現をめざす勢力が推す翁長雄志候補(現知事)の応援に駆け付けてくれたであろう。私は知事選期間中、翁長候補の応援演説をする度に「土井さんならこの場でどのような言葉を選び、力強く明確に、そしてわかり易く訴えるだろうか」と思案したものだ。

 ともあれ、県知事選挙は翁長雄志氏が約10万票の大差で当選した。きっと、土井さんも天国で大好きなワインを傾け、祝杯を上げてくれたと思う。

 そして、知事選挙の勝利の余韻に浸る間もなく、11月21日に衆議院は突如解散された。

 急いで解散総選挙の準備をしなければならず、気が焦った。だが、11月25日に土井さん追悼の「お別れの会」(於:憲政記念館)を社民党主催で開催することを各方面に案内済みであった。

 土井さん逝去の報に接してからの深い哀しみと喪失感による空洞を埋めるためにも、上京して土井さんにお別れを告げねばならない―。その一心で、日帰りで上京し、出席した「お別れの会」には約400人余が参列した。開式の前の控室では、様々な方から生前の土井さんとの思い出話を聞いた。上京や帰沖する際の機内でも土井さんに関する評論記事を貪り読み、無理に涙を乾かした。

 そのとき読んだ中で印象に残ったのは、早野透氏(桜美林大学教授)の「土井さんは、日本国憲法を体現していた。憲法は抽象理念ではなく、『土井たか子』という肉体を持っていたのである」との一文である。

 共同通信常務理事の小野江公利氏は「評伝・土井たか子」の中で、次のようなエピソードを紹介している。

 「政界引退後も、護憲を訴えて全国を行脚した。06年に札幌市の講演会場で会ったときに久しぶりに言葉を交わした。『私は日本国憲法の伝道師ですから。まだまだ続けますよ』と背筋を伸ばして張りのある声で話していたのが印象深い。土井さんとの会話はこれが最後となった」

 そうか、土井さんは政界引退後を「日本国憲法の伝道師」たらんとして生きたんだ。よーし、私もこれからは政界に身を置きながら、「反憲法」下の日常を強いられているウチナーで「日本国憲法の伝道師」として生きていこう!

 土井さんは「日本国憲法の伝道師」であり、同時に「非戦平和の伝道師」でもあった。

 土井さんは社民党党首として、2001年に「21世紀の平和構想―核も不信もないアジアを―」を発表した。「21世紀の平和構想」は“土井ドクトリン”(土井イニシアチブ、または土井アジェンダとも呼ばれる)として大きな反響を呼んだ。その理念は日本国憲法前文と憲法9条が源泉になっている。

 「土井ドクトリン」では安全保障5原則と5つの政策目標をアジアに向けて発信した。以下、概略のみを紹介しよう。

【原則】

(1) 平和憲法を実行にうつし、世界に広めます。

(2) 北東アジアの近現代史を社会科学的に確立し、日本人として自発的にそれに基づく公正な歴史認識を深めます。

(3) 国際紛争は軍事力によらず、平和的な話し合いで解決します。

(4) 核兵器や生物化学兵器をはじめとする大量破壊兵器の廃絶を進めます。

(5) 日本として国際協力を惜しまず、国際社会の安全保障面では、国連の旗の下に平和維持活動(PKO)で非軍事の役割を積極的に果たします。

【政策目標】

(1) 日本国の非核不戦国家宣言

(2) 北東アジア総合安全保障機構の創設

(3) 北東アジア非核地帯の設置

(4) 2国間安保から多国間協調へ

(5) 自衛隊の縮小・改編

 「土井ドクトリン」が発表されて久しいが、その内容を精緻化する理論的作業や精神・理念を具現化する創造的運動の構築作業が党内的に不十分である、と自白せざるを得ない。誠に至極残念だ。

 土井さんをして「非戦平和の伝道師」にした原点は、敗戦の年(1945年3月)の神戸大空襲である。土井さんは艦載機の機銃掃射と無数の焼夷弾爆撃で、真っ黒焦げの焼死体が転がる修羅場を必死に逃げて生き延びた。

 土井さんは、佐高信氏との共著『護憲派の一分(いちぶん)』(角川21新書、2007年)の中で「戦争は人間を人間でなくしてしまう。人を狂わしてしまう。私は逃げまどう地獄絵図の中で、明日の生命は知れないと思った。私がのちに、『反戦』を唱えるような原点である」と述懐している。

 さてさて、尊敬してやまない土井さんが逝ってしまって100日余が過ぎた今頃になって、何故にこのようなコラムを綴っているのか。

 理由の一つは、今年が敗戦70年の節目であり、安倍独裁政権が「この道しかない」とばかりに「戦争国家」へと暴走する中で非戦の誓いを新たにする必要があること。

 二つ目に、昨年7月1日に集団的自衛権行使容認(解釈改憲)が閣議決定され、いよいよ“壊憲”と改憲が具体的になってきたこと。

 そして三つ目に、年末年始に書斎を整理していたら「不戦の誓い 命(ぬち)どぅ宝」と揮毫(きごう)した土井さんの色紙を発見したからである。

 土井さん、あなたから「護憲と平和の伝道師」を勝手にバトンタッチした不肖の私を天国から厳しく、時に温かく見守ってくださいね。



(2015年1月14日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 17:29憲法コラム

【憲法コラム】敗戦70年の節目の年頭に非戦と護憲を誓う

2015年01月07日




2015年、悲惨な沖縄戦終結と太平洋戦争の敗戦から70年のときを迎える。

 この節目の年頭に非戦と護憲の誓いを新たにした。私の「非戦と護憲の誓い」について敷衍(ふえん)する前に、「選挙イヤー」といわれた2014年の沖縄で起こった「民意の反乱」について記述しておきたい。

 近年の沖縄における最大の政治・社会問題は、米軍普天間基地の辺野古移設(正しくは辺野古新基地建設)をめぐる動きである。

 ここ数年、美ら海辺野古の海上で、米軍キャンプ・シュワブゲート前で、さらには普天間基地と県庁前で、ウチナーウマンチュによる辺野古新基地建設阻止の非暴力抵抗闘争が続けられている。この闘いは、立憲主義に基づき近代憲法で人民に信託された権利、すなわちウチナーンチュの人間としての尊厳を侵す国家権力による行為に対する抵抗権の行使である。

 ところが、ウチナーがいくら抵抗し、拒否の意思を示そうとも、歴代政権は一顧だにしない。中でも、安倍政権は強権的だ。日米合意を大上段に県民を分断し、国家権力を総動員して辺野古新基地を建設せんと躍起になっている。

 その象徴的な出来事、事態の重大な転換点になったのが、仲井真知事(当時)と沖縄選出・出身衆参5人の自民党国会議員、自民党県連による“公約裏切り”であった。

 彼らは選挙で普天間基地の辺野古移設反対を掲げて当選したのに、政府の強大な権力に屈服し、いくばくかの“カネ”の誘惑に負けて、ウチナーンチュの誇りと尊厳をかなぐり捨てたのである。

 2013年末には、仲井真知事が公有水面埋立法に基づく辺野古埋め立て承認をした。その直前には、自民党国会議員5人が石破幹事長(当時)の脇でうなだれて辺野古容認に転じた姿が、各種メディアで大々的に報じられた。報道を通じ、その異様な姿を現認した多くの県民が「平成の琉球処分」だと直感した。

 2014年の年明け早々、名護市長選挙があった。再選を賭けた稲嶺名護市長は、一期目同様に「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」との公約を掲げた。相手の自民党推薦候補は、辺野古新基地建設推進の立場であった。

 この市長選挙でも、安倍内閣と自民党は「琉球処分官」石破幹事長を先頭に巧妙な利益誘導と恫喝を仕掛けてきた。

 だが、結果は大差での稲嶺市長再選であった。名護市民は再び辺野古新基地建設反対の民意を示したのである。

 同年8月の名護市議会選挙でも稲嶺市長与党が多数を占めた。

 そして11月、天王山の知事選挙は、安倍政権に屈服・迎合し、辺野古新基地推進を公約した現職・仲井真候補と「オール沖縄」で「建白書」実現をめざす勢力に推され、辺野古新基地建設阻止を公約に掲げた翁長雄志候補(前那覇市長)との事実上の一騎打ちとなった。

 翁長候補は「イデオロギーよりアイデンティティ」「誇りある豊かさを」とのキャッチフレーズを前面に押し出し、従来の「保守・革新」の枠組みを越えた共闘体制を構築した。一部企業人や自民党を除名された那覇市議団(新風会)も「ひやみかち うまんちゅの会」(翁長選対)に結集した。1950年代の米軍支配下の沖縄における「島ぐるみ」抵抗闘争の“現代版”とでも呼ぶべき、辺野古新基地建設阻止に向けた「オール沖縄」の選挙共闘である。

 結果は、翁長候補が約10万票の大差で、歴史的勝利を果たした。同日選挙となった那覇市長選挙でも「オール沖縄」陣営の城間幹子氏が圧勝し、県都那覇市に初の女性市長が誕生した。

 辺野古新基地建設反対のウチナーの民意は、安倍内閣はもちろんのこと、アメリカをはじめとする国際社会に向けても示されたのである。

 知事選挙の終盤戦になって、永田町の政局は風雲急を告げ、衆議院は11月21日に解散された。

 迎えた12月14日の解散総選挙に向け、知事選に続いて衆議院選挙でも「オール沖縄」の「建白書」勢力が共闘体制を組んだ。沖縄4選挙区全てに候補者を擁立し、(1)辺野古新基地建設反対(2)自民党4衆議院議員の“公約裏切り”弾劾(3)国政の場で翁長新知事を支える―との共通公約を掲げて戦ったのである。

 選挙結果は、1区から4区まで「オール沖縄」の「建白書」勢力が全員当選し、公約違反の自民党公認候補に「落選」の鉄槌を下した。ウチナーの民意は、紛れもなく辺野古新基地建設反対にあることが衆議院選挙でも示されたのである。

 一方で、自民党公認候補4人全員が「比例復活」したのは残念至極、悔しい限りだ。ただ、それは「小選挙区比例代表並立制」という民意を正確に反映しえない選挙制度の「負の側面」によるものだ。彼らは、代議制民主主義に基づく選挙民たる有権者の信託を受けていない。県民は決して、ウチナーの民意に背く自民党4衆議院議員を国会に送り出したわけではない。

 私は今度の衆議院選挙でも、普天間基地や嘉手納基地など在日米軍基地が一番多く集中し、この国の「安全保障の縮図」のような沖縄2区から立候補した。

 選挙戦を通じ、これまで同様(1)辺野古新基地建設反対(2)東村高江の米軍ヘリパッド建設反対(3)オスプレイ撤去―など基地負担と犠牲の強要は認められないと有権者に訴えた。

 同時に、相手の自民党公認候補が自衛隊の「国防軍」への格上げ、9条改憲など自民党「日本国憲法改正草案」に基づく公約を明示したのに対し、徹底的に反論、追及した。悲惨な沖縄戦の中で、軍隊は住民の命を守らなかったという沖縄戦の実相に触れ、本土復帰前の「無憲法」下での米軍支配による惨状を具体的に有権者に語りかけた。

 私の評価では、相手候補は安倍総理以上の“軍国主義者”である。絶対に負けまい!と毎日のように決意を新たにして選挙戦に臨んだ。

 結果は、51.58%という低投票率の中で8万5,781票(得票率62.2%)を獲得し、相手候補に3万3,625票の大差で圧勝した。選挙区管内でいえば、知事選挙での翁長候補の得票率を10ポイント上回り、普天間基地を抱える宜野湾市で相手候補に6千票以上の大差(知事選挙での票差の2倍)をつけての当選である。

 今や“政界の絶滅危惧種”と揶揄される社民党の私が、小選挙区で5連勝した。
だが、私や社民党の勝利ではない。国家権力を総動員して、受忍限度をはるかに超えた基地負担と犠牲を強要する安倍独裁政権にウチナーウマンチュが“一票一揆”の抵抗権を行使した結果である。


小選挙区5期連続当選を決め、歓喜のカチャーシーを舞う=12月14日投開票日、選対事務所

 解散総選挙後が終わり、12月24日の特別国会での首班指名を経て、第3次安倍内閣が誕生した。(「大惨事安倍内閣」と命名したのは早稲田大学・水島朝穂教授だが、言い得て妙だ)

 解散総選挙で「この道しかない」と政治的詐術を弄した安倍内閣の「この道」の先に集団的自衛権行使のための法整備、そして“壊憲”と改憲が待っているのは間違いない。

 「戦争国家」への暴走を見過ごすわけにはいかない。

 敗戦70年の節目の2015年、「非戦と護憲の誓い」も新たに国会内外で不屈に闘い続ける覚悟だ。

 ※しばらく中断していた「憲法コラム」を再開します。ご一読のうえ、ご叱正ください。


(2015年1月7日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 15:46憲法コラム
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