社民党

【PR】

  
Posted by TI-DA at

安倍総理の「積極的平和主義」を批判する

2013年09月28日

 作家の城山三郎氏は、自らの少年兵としての体験を通して。「戦争はすべてを失わせる。戦争で得たものは憲法だけだ」と日頃から語っていた、とわが〝心友〟佐高 信(評論家)は証言し、多くの著書に書いている。

 たしかに、日本人は去る大戦で約2000万人の近隣諸国民を殺し、310万人もの日本人を犠牲にした。悲惨な沖縄戦では20万余の者が尊い命を失っている。それらの反省のうえに日本国憲法は成立した。

 憲法は第9条で「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否定」を謳っている。同時に、憲法前文において平和的生存権を規定しており、日本国憲法は間違いなく「積極的平和主義」の精神である。

 ところが、去る9月26日(日本時間)ニューヨークで講演した安倍総理が、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直し目的を、「世界の平和と安定に、より積極的に貢献する国になる。積極的平和主義の国にしようと決意している」と語ったようだ。

 共同通信の配信による新聞各紙を読んで、一体安倍総理が考える「積極的平和主義」とはどんな内容なのか、質してみたくなった。いや、安倍総理は「積極的平和主義」の真の意味を知らないのかもしれない。

 その証拠に、9月25日の同行記者団との会見では、集団的自衛権の行使を容認した場合、行使するかどうかの政策判断を地理的概念ではなく、国民の生命、財産、国益の確保を前提に検討する考えを示している。

 つまり、集団的自衛権行使容認により、「地球の裏側」でも活動を容認しようとの考えだ。
 これでは憲法第9条の「積極的平和主義」を破壊せんとするものだ。

 安倍総理に「積極的平和主義」を口にする資格はない。

 9月28日  

Posted by terukan at 18:04

【憲法コラム】「ヘイトスピーチとレイシズム」そして普遍的人権

2013年09月28日



 恥を忍んで告白する。私は、横文字に弱い。「弱い」ってなもんではなく、からっきしダメだ。そんな私でも、ヘイトスピーチ(憎悪表現)とレイシズム(人種差別主義)は、しっかりと覚え、日常的に使用している。

 数年前から、東京都新宿区新大久保や大阪市生野区鶴橋などの、在日朝鮮・韓国人が多く住み、出店している地域で、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)やネット右翼らによるヘイトスピーチ街頭デモが展開されるようになった。

 在特会や右翼らは、「従軍慰安婦は売春婦だった」「良い韓国人も、悪い韓国人も殺せ」「ゴキブリ」等と日の丸を掲げ、ヘイトスピーチし、人種差別に基づく侮辱的、脅迫的言動を繰り返している。強い怒りを覚えると同時に、自らの内面的不満を在日朝鮮・韓国人に向け、口汚くののしり、騒ぎ立てればいいという怪しい行動原理を情けなく思う。

 最近では、在特会や右翼らのヘイトスピーチに抗議する市民のデモも始まった。去る9月22日には、「差別撤廃 東京大行進」が東京・新宿で開かれ、すべてのレイシズムにNOを!すべてのヘイトスピーチにNOを!「差別をやめよう、仲良くしようぜ」と訴えるデモ行進がおこなわれている。

 「東京大行進」は、1963年8月、米国・ワシントンでキング牧師らが人種差別撤廃を訴えた「ワシントン大行進」をモデルにしたもので、「東京大行進」には約2000人が参加したようだ(9月23日付東京新聞)。

 ところで、レイシズムに基づくヘイトスピーチは、ウチナーンチュにも向けられている。去る1月27日、オスプレイの強行配備に反対し、即時撤去を求めて、沖縄の全市町村長、議会議長、超党派県会議員、県選出国会議員らが、日比谷公園で集会を開き、銀座へ向けてデモをした折に、日の丸を掲げた右翼や在特会の者が、「売国奴」「ゴキブリ」「スパイ」「日本から出て行け」等と罵声を浴びせ、平穏なデモを妨害した。集会やデモに参加した私を含む県民代表らは、不愉快さを超えて恐怖感すら抱いたのである。ヘイトスピーチは、憲法第21条が保障する表現の自由を超えて、犯罪行為の様相を帯びてきた、と考える。具体的には、刑法第222条「脅迫」、同234条「威力業務妨害」等である。

 私は、ヘイトスピーチに直ちに刑事罰を加えたり、新たな法規制を設けるべきだ、とまでは言わない。だが、ヘイトスピーチによる実害=被害は確実に発生している事も事実だ。

 2013年5月22日、国連の社会権規約委員会は日本政府に対し、ヘイトスピーチの防止や包括的差別禁止法の制定を求めた。日本も加盟している人種差別撤廃条約2条1項dは、「各締約国は、状況により必要とされるときは立法を含むすべての適当な方法により、いかなる個人や集団、組織による人種差別も禁止し、終了させる」と規定している。今起きている在日朝鮮・韓国人やウチナーンチュに対するヘイトスピーチは、明らかに「個人や組織による人種差別」である。従って、先ずは、政府が処罰や法規制の前に、人種差別問題に真剣に取り組み、人種差別禁止法を制定すべきだ。それすらやらないで、「平和の祭典」2020年オリンピック、パラリンピック東京開催と大騒ぎしても、国際社会の物笑いだ。

 2013年9月25日、在日コリアン三世で人材育成コンサルタントの辛淑玉さんらの呼びかけで、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)が結成された。実は、辛淑玉さんから「のりこえねっと」の結成計画を事前に聞いていた。結成記者会見で辛淑玉さんは、「差別はいけないんだと体を張って止めないと。ひとつひとつつぶしていかなくては」「差別する側、される側。私たちは同じ社会で生きているのに分断されている。その壁を乗り越えたい」「究極の目標は、差別する人と一緒にご飯を食べること。口論になってもいいから」と明るく言い放っている。(9月26日付東京新聞)

 さすが、『差別と日本人』(野中広務氏との共著)、『ケンカの作法――批判しなければ、日本は滅ぶ』(佐高信氏との共著)がある辛淑玉さんらしい発言だ。

 早速、「のりこえねっと」の設立宣言を入手し、熟読玩味した。格調高く、美文で心うつ設立宣言だ。設立宣言の一部を紹介しよう。

 「ヘイトスピーチは、良心を持つあらゆる人々を傷つけるのだ。国籍も、民族も、性別も、出自も関係なく、すべての人間には普遍的な尊厳と人権があると考える人々の信念、そして、なによりも平和に生きようとする人々の精神に対して、言葉と物理的な暴力で憎悪を投げつけ、侮辱し、傷を負わせる。国際社会がこれまで長い苦しみの歴史の中で築いてきた、世界人権宣言にも謳われる普遍的な人権概念を攻撃し、その価値をあざ笑い、踏みにじる。これが、ヘイトスピーチの本質なのだ。」

 「この暴力に対峙し、決然と対決することは、単なるマイノリティ集団の利益のための行動ではない。」「民族や国境の壁を超えて、人権の普遍的価値を擁護し、防衛する行動でもあるのだ。」

 よ~し、「のりこえねっと」の設立呼びかけと宣言に応えて、「人権の普遍的価値を擁護」すべく、ヘイトスピーチとレイシズムに不屈に闘うぞ!



(2013年9月28日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

ヘイトスピーチ反対「のりこえねっと」の結成

2013年09月26日

 東京都新宿区新大久保や大阪市生野区鶴橋などの、在日韓国・朝鮮人が多く住み、営業する地域で、ヘイトスピーチデモ(差別表現)が展開されている。対する抗議デモもあり、一時期下火になっていたが、また活動を始めている。
 ヘイトスピーチデモの一隊は、「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「ウジ虫、ゴキブリ」などと、罵声をあげ、民族的マイノリティーへの差別、暴力等を煽動している。実に卑劣で許せない。同時に、そのような形でしか自己の存在感を示しえない情けなさもあり、無視する事にしている。
 ただ、ヘイトスピーチをくり返すレイシズム(人種差別主義)とは、体を張って闘わねばならない。

 ヘイトスピーチは、在日韓国・朝鮮人だけでなく、私たちウチナーンチュにも向けられている。
 去る1月に上京したオスプレイ配備反対のオール沖縄のデモ参加者に「ゴキブリ」「売国奴」「日本から出て行け」等と差別攻撃をしたのだ。

 今日の東京新聞「こちら特報部」が詳しく報道しているように(写真)、昨日、在日コリアン三世で人材育成コンサルタントの辛淑玉(シン・スゴ)さんらが呼びかけた「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)が結成された。早速、同ネットワークの設立宣言を入手して一読した。
 私は、「設立宣言」に全面的に賛成し、可能な限り協力をするつもりである。



 「設立宣言」は、次のように言う。
 「ヘイトスピーチは、良心を持つあらゆる人々を傷つけるのだ。国籍も、民族も、性別も、出自も関係なく、すべての人間には普遍的な尊厳と人権があると考える人々の信念、そして、なによりも平和に生きようとする人々の精神に対して、言葉と物理的な暴力で憎悪を投げつけ、侮辱し、傷を負わせる。国際社会がこれまで長い苦しみの歴史の中で築いてきた、世界人権宣言にも謳われる普遍的な人権概念を攻撃し、その価値をあざ笑い、踏みにじる。 これが、ヘイトスピーチの本質なのだ」――と。

 尚、「のりかえねっと」のホームページは http://www.norikoenet.org/index.html 。今日の東京新聞朝刊の辛淑玉さんの発言もご一読下さい。

9月26日 15時10分  

Posted by terukan at 15:15

オスプレイ緊急着陸、そして訓練激化

2013年09月25日

 今日(9月25日)の琉球新報朝刊一面は、同紙アメリカ特派員、島袋良太記者による報道記事がトップだ。
 記事によると、米アリゾナ州の地元紙「ヴェルデ・インディペンデント」の報道によると、米海兵隊のMV22オスプレイ1機が9月20日、民間空港に緊急着陸したとのことだ。

 オスプレイは、6月にノースカロライナ州で機体が炎上、8月にはネバダ州で着陸に失敗し、炎上する事故を起こしている。
 前回までの事故原因も究明報告されないままの今回の緊急着陸である。オスプレイが欠陥機である事は、既にはっきりしている。

 そのような中で、昨日(9月24日)、6月からオーストラリアなどに演習のために派遣されていたオスプレイ9機が普天間基地に帰還し、帰還直後から本島全域で飛行訓練をくり返して、多くの県民を激しい爆音や低周波振動で苦しめている。

 今日の地元二紙には、オスプレイ墜落事故の恐怖におののき、訓練飛行に関する日米合意を一切無視して夜間まで訓練をくり返す米軍への怒りの声が載っている。本当に腹が立つ。アメリカのような広大な米軍基地での事故と違い、人口密集地の沖縄には緊急着陸の場所すらない。再三言うがオスプレイは一刻も早く撤去せよ!

9月25日 15時20分  

Posted by terukan at 15:24

【憲法コラム】「地球の裏側」までの自衛隊活動と集団的自衛権

2013年09月25日



 最近、安倍政権が進めている憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認との関係で、そのようになった場合に、自衛隊を「地球の裏側」にまで派遣して活動させるのか、という問題が様々に議論沸騰している。そこで、集団的自衛権と「地球の裏側」問題を考える前に、「自衛権」について考えてみた。自衛権には、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」がある。

 「個別的自衛権」とは、自国に対する他国からの急迫不正な武力攻撃に対して、自国を防衛するために必要最小限な武力を行使する国際法上の権利である。

 対する「集団的自衛権」とは、自国が直接攻撃されていなくとも、密接な関係にある国(例えば軍事同盟関係にあるアメリカ)への武力攻撃に対して、関係国とともに戦う権利である。従って、集団的自衛権行使における「関係国とともに戦う」とは、一緒になって戦争をすることを意味する。

 国連憲章第51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的自衛権又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない。(以下、省略)」と定めている。

 集団的自衛権の概念は、国連憲章第51条が、個別的自衛権と並んで国家の「固有の権利」として規定したのが最初である。だが、集団的自衛権が国家の「固有の権利」というのには無理がある、と指摘する憲法学者は多い。

 わが国の歴代内閣は、集団的自衛権を国際法上有していることは認めつつも、「憲法9条で許される自衛権行使は、わが国を防衛するための必要最小限度の範囲にとどめるべきだ、集団的自衛権の行使は、その範囲を超え、憲法上許されない」との見解を示してきた。いわゆる、「保有すれども行使せず」の論理だ。私など、「行使せず」ではなく、憲法上「行使できない」との立場だ。

 この、集団的自衛権に関する歴代内閣の見解は、今や多くの国民の理解を得て、憲法9条の解釈として根強く定着しているものと考える。

 さて、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認へと安倍内閣が舵を切った場合、自衛隊は、「地球の裏側」にまで行くのか。結論を先に言うと、私は「行く」と思う。

 安倍政権で安全保障政策を担当する高見沢将林(のぶしげ)・官房副長官補が去る9月19日の自民党安全保障関係合同部会で、集団的自衛権の行使が認められた場合の自衛隊の活動範囲について「日本の防衛を考えていくときに、地球の裏側であれば全く関係ない、ということは一概に言えない。『絶対、地球の裏側に行きません』という性格のものではない」と正直に述べている。

 この高見沢発言を受けて、小野寺五典防衛大臣や自民党安保族の幹部らは、世論や諸外国の反発を気にして、火消しに躍起になっている。一方で、高見沢発言の翌20日の記者会見で小野寺防衛大臣は、高見沢発言を否定せず、集団的自衛権行使が容認された場合、自衛隊が「地球の裏側」に行く可能性について記者から執拗に追及され、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の議論を待ちたい」と曖昧模糊な返事を鸚鵡返しする始末だ。

 小野寺防衛大臣が、その議論を待ちたいとする安保法制懇座長の柳井俊二氏(元駐米大使)は、「国際法に従った(憲法)解釈変更をして日米の同盟関係をしっかり運用できるようにすることが絶対必要だ」と述べ、国連憲章に沿った集団的自衛権の行使を幅広く議論し、年内に報告書をまとめる、と明言している。

 第1次安倍内閣で設置された安保法制懇は、2008年6月の報告書で集団的自衛権行使容認の事例として次の4つのケースを提言した。

① 公海上での自衛隊による米軍艦船の防護
② 米国を狙った弾道ミサイルの迎撃
③ 国連平和維持活動(PKO)などでの武器使用
④ 多国籍軍などへの後方支援

 前記柳井俊二座長発言のように、今回安保法制懇は、前掲4つのケースにとらわれず、包括的な拡大提言を考えているようだ。

 集団的自衛権の行使容認は、元々アメリカが日本に強く求めていたものだ。イラクやアフガニスタンでアメリカが攻撃されたら、日本が攻撃されていなくともイラクやアフガニスタンを攻撃することができる、これが集団的自衛権だ。従って、「地球の裏側」どころか、世界中でアメリカと一緒に戦争をすることになるのだ。

 自民党「日本国憲法改正草案」では、現行憲法前文の平和的生存権を全面削除した。そのうえ、9条の2で「国防軍」という軍隊を創り、現行憲法9条の「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を削除して、「自衛権」の発動を無制限に認めている。

 要するに、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認は、実質的な憲法9条改憲であり、「国防軍」の創設は、戦争で殺人行為をする事を合法化することだ。「自衛隊」は軍隊ではないが、「国防軍」は正規の軍隊である。単なる名称変更ではない。

 従って、「地球の裏側」までの自衛隊活動は、「国防軍」の「地球の裏側」までの出兵に等しい。



(2013年9月25日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

全国沖縄県人会交流会アピール

2013年09月24日

 2年に一度、全国の沖縄県人会が集い、交流会を開催しているようだ。さながら、全国県人会による「ウチナーンチュ大会」だ。今年は昨日(9月23日)、兵庫県尼崎市で全国14団体、約220人が参加して開催された。


全国沖縄県人会交流会の様子を伝える地元二紙

 私もかねてより主催者の沖縄県人会兵庫県本部の大城健裕会長から「メイン講演の講師に翁長雄志那覇市長を呼びたいので、翁長市長に強くお願いしてほしい」と頼まれ、働きかけた経緯もあり、交流会が盛況に終わったことを素直に喜んでいる。私も参加したかったが、日程が合わず、祝電送付のみとなった。

 昨日の交流会で主催者の大城健裕兵庫県本部会長は「戦前戦後の厳しい状況の中から、ウチナーンチュはみな助け合うという心で県人会ができた。今、沖縄は基地を押し付けられ、構造的差別を受けている。われわれは沖縄の痛みを共有すべきだ」とあいさつしたようだ。(9月24日付・琉球新報)

 翁長那覇市長も「沖縄の現状と未来」と題する講演で「沖縄は自分で持ってきたわけでもない基地を挟んで長年保守と革新がいがみ合ってきたが、敵は別にいる」と述べたらしい。(前掲・琉球新報)

 そうなんだ、沖縄の基地問題の”敵”は日米両政府だ!
 (末尾にアピール全文を掲載する)

--
第12回全国沖縄県人会交流会アピール


 本日、第12回全国沖縄県人会交流会に参加した各県人会は、その成り立ちや組織などを異にしています。戦前に組織された県人会、終戦後引き揚げや相互扶助のため結成された県人会、復帰後親睦や交流のために結成された県人会、沖縄芸能や沖縄文化を愛好する人たちも参加する県人会など多種多様です。
 しかし、沖縄を愛し、沖縄県の平和・発展を願う心に変わりはありません。

 沖縄県では昨年9月9日に10万人余が参加して「オスプレイ配備反対県民大会」が開かれ、オスプレイの沖縄への配備反対、普天間飛行場の閉鎖・県内移設反対を決議しました。にもかかわらず、そのわずか10日後に日本政府は安全宣言を行い、10月1日以降次々とオスプレイが普天間飛行場に配備。その後、危険な訓練を繰り返しています。
 今年1月27・28日、沖縄県の全41市町村の代表は、オスプレイの配備撤回と普天間飛行場県内移設断念を迫る「東京行動」を行ない、日本政府に「建白書」を突きつけましたが、一顧だにされていません。
 さらに4月28日、沖縄にとっては本土と切り離された「屈辱の日」に政府は「主権回復の日」式典を執り行ないました。そして、8月にはオスプレイの追加配備を強行しました。
 ここまで、沖縄県民の願いを踏みにじるのはなぜでしょうか。沖縄に対する「構造的差別」という言葉が多くの人の間で言われるようになりました。沖縄への基地の押しつけ、本土の無関心が「構造的差別」を生み出しています。

 私たち本土の沖縄県人会はこのような状況を憂慮すると同時に、各都道府県で沖縄の現状を訴え、米軍基地撤去を願う沖縄県・沖縄県民と行動をともにしていくことを、ここに確認したいと思います。

第12回全国沖縄県人会交流会
平成25年9月23日

--

9月24日 11時50分



  

Posted by terukan at 11:51

沖縄愛楽園の敬老会

2013年09月20日

 昨日は旧暦の「8月15夜」であった。
 案内があり、地元秘書と二人で、ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」の敬老会に出かけた。

 園の入所者は高齢化し、全員が老人であるが、新しくカジマヤーを迎える方が6人、新百歳が2人という報告であった。

 私も、来賓挨拶を頼まれたが、稲嶺 進名護市長と私は、「しまくとぅば」での挨拶をやり、入所者の老人から大変に喜ばれた。尼崎市の県人会の集まりに呼ばれた際に、介護職員から、介護を受けている沖縄一世の老人は、ウチナーグチしか話せないのでコミュニケーションに困っていると聞いていた。しかも、入所者は好んで愛楽園に来たのではなく、間違った国策で強制的に入所させられたのである。


敬老会にて挨拶

 敬老会の式典一部を終え、二部の余興が始まる前に、入所施設に里山るつ(ペンネーム)を訪ねた。後遺症で視力を失っているが、短歌を詠む歌人である。
 久しぶりに再会し、お元気そうな姿にホッとした。二人だけで楽しくユンタクして、再会を約束し、帰宅することにした。

 愛楽園だけでなく、全国のハンセン病療養所の入所者は超高齢化している。国は、医療・介護体制を充実し、最後の一人まで手厚く見守る法的責任がある。療養所で働く職員も減らしてはいけない。そして、一日も早く地域に開かれた施設に転換すべきだ。

 9月20日


歌人、里山るつさんとユンタク  

Posted by terukan at 13:52

【憲法コラム】「琉球共和国憲法」草案と「沖縄自治憲章」案

2013年09月20日



 第16代アメリカ合衆国大統領、エブラハム・リンカーンの「人民の 人民による 人民のための政治」という言葉は、余りにも有名だ。1863年、南北戦争最大の激戦地ゲティスバーグの戦いで北軍が勝利し、戦没者墓地奉献式での名演説(時間にしてわずか3分間)の一節だ。

 私が、このリンカーンの有名な演説の文句を初めて耳にしたのは、具志川中学校在学中のことだった、と記憶している。当時の沖縄は、アメリカの軍政下にあり、軍事優先の政治の下、日本国憲法も適用されず、基本的人権も保障されていなかったので、アメリカ大統領の「人民の 人民による 人民のための政治」は、新鮮な驚きですらあった。

 実は、リンカーンの有名な言葉には、後半部分がある事をつい最近まで知らなかった。不勉強の謗りに、恥じ入るばかりである。リンカーンの言葉は、「人民の 人民による 人民のための政治は、この地上からけっして消え去ることはないだろう」となっており、後半部分を加えると、一層輝きを増し、深い感銘と感動を与える言葉になってくる。

 さて、翻って現下の安倍総理の政治を考えるに、「金持ちの 金持ちによる 金持ちのための政治」、いや間違えた「自民党の 自民党による 金持ちのための政治」になっていると批判せざるを得ない。大多数の庶民(低所得者)を苦しめる消費税増税をやり、大企業の法人税率は引き下げる。福島第一原発事故は、未だ収束せず、日々、海に空に大地に放射能を撒き散らし、汚染水はたれ流されているのに、「状況はコントロールされている」とパフォーマンス政治をやっている。まさに、「人民」ではなく、「官僚の 官僚による 官僚のための政治」に屈服しているのだ。

 安倍総理による憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認や憲法96条、9条を含む“壊憲”策動も、リンカーンの言葉とは、真逆である。

 さてと本題に戻ろう。沖縄本土「復帰」10年後の1981年6月の『新沖縄文学』(沖縄タイムス刊)第48号に、「琉球共和社会憲法私(試)案」と「琉球共和国憲法私(試)案」が掲載され、話題騒然となった。当時、驚愕しながらも、興味津津に読んだ記憶がある。琉球「共和国」「共和社会」憲法草案(二案)を解説するのは、私の手に余る。ただ、言えるのは、二案を貫いている精神には、「無憲法」下から「反憲法」下に変っただけの沖縄に失望しつつも、不戦・非戦の平和を渇望し、共生国家を志向しているもの、と受け止めた。

 そして、1985年には沖縄国際大学教授(当時)の玉野井芳郎氏が、「生存と平和を根幹とする『沖縄自治憲章』(案)」を発表する。玉野井芳郎氏(1918年-1985年)は、東大教養学部名誉教授で経済学博士、東大退官後に沖国大教授になられた。イヴァン・イリイチを日本に紹介した偉大な学者である。

 2013年6月、『沖縄自治州――特例型沖縄単独州を求めて――』(「琉球書房」発行)が出版された。同書に、前記玉野井芳郎氏の「沖縄自治憲章」(案)が、全文資料として掲載されている。

 「沖縄自治憲章」(案)は、その前文において「(中略)沖縄の戦後の歴史、とりわけ復帰運動および平和運動の歴史を踏まえて、日本国憲法および本憲章が定める権利を拡大、充実し、これを永く子孫に伝えることは、われわれ沖縄住民の責務である。ここにわれわれは、生命と自然の尊重の立場を宣明し、生存と平和を根幹とする「沖縄自治憲章」を制定して、本来の自治・自立の理想と目的の達成を心に誓う。」と高らかに謳っている。

 「沖縄自治憲章」第13条は、「沖縄住民は、永久絶対の平和を希求し、自衛戦争を含むあらゆる戦争を否定し、沖縄地域において、戦争を目的とする一切の物的、人的組織を認めない。

 沖縄地域において、核兵器を製造し、貯蔵し、または持ち込むことを認めない。また核兵器の搭載可能な種類の艦船、航空機の寄港および海域・空域の通過を認めない。」と平和主義の精神・理念を定めている。

 更に、「沖縄自治憲章」(案)第15条は、平和的生存権を確保するための諸権利について、次のように規定する。

「沖縄住民は、平和的生存権を具体的に確保するために、次に掲げる諸権利を有する。
1 軍事目的のための表現自由の制約を拒否する権利
2 軍事目的のための財産の強制使用、収用を拒否する権利
3 軍事目的のための労役提供を拒否する権利」

 本土「復帰」41年目の沖縄は、琉球「共和国」「共和社会」憲法草案や「沖縄自治憲章」(案)の平和的生存権を日本国憲法に求め続け、安倍総理と自民党は「壊憲」で、平和的生存権を捨てようとしている。



(2013年9月20日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

オスプレイの影響で乳牛が早産か?

2013年09月19日

 今朝は、嘉手納基地爆音差止等の口頭弁論があり、先程事前集会で連帯挨拶を述べ、帰宅したところだ。

 さて、今日(9月19日)の琉球新報によると、伊江村西崎で去る6月27日に乳牛3頭が早産し、母牛2頭が死んだ、ことが伊江村議会で論議になったようだ。記事によると、通常牛の出産は、予定日の1週間前後が正常だが、早産した牛は4~24日早かったようだ。

 オスプレイが普天間基地に配備強行されて後、伊江島補助飛行場(米軍の)では、毎日のように飛行訓練が強行され、オスプレイ独特の低周波爆音をまき散らしている。伊江島補助飛行場では、沖縄防衛局の測定で、6月27日に95デシベル、5,6月の2カ月間は80~100デシベルの爆音がそれぞれ50回以上も確認されたという。

 オスプレイの低周波は、人体にも悪影響があると言われており、専門家は因果関係は明白でないが、乳牛に大きなストレスがかかった可能性を指摘している。

 基地被害、基地公害「疑わしきは罰せよ」だ。

 欠陥機オスプレイは、沖縄から撤去せよ!

9月19日


嘉手納爆音訴訟第8回口頭弁論事前集会で挨拶  

Posted by terukan at 11:37

「しまくとぅばの日」に思う

2013年09月18日

 今日(9月18日)は、「しまくとぅばの日」である。2006年に沖縄県条例で定められて7年目である。

 幼少の頃は、しまくとぅばを「ウチナーグチ」「方言」などと呼んでいた。学校では、「共通語励行」「標準語励行」などが教師から強く言われ、週訓として教室前面の黒板に毎日のように書かれていた。
 私より年配の世代の方々は、「しまくとぅば」撲滅、ヤマトグチ=標準語励行の学校現場でしまくとぅばを使用した罰として、「方言札」を首にかけられた、悲しい歴史もあったようだ。

 私は、他の同世代の者に比べて、しまくとぅばを存分に話すことができる。学校では標準語=共通語励行を口すっぱく言われても、ウーマク達は休み時間や放課後は専らしまくとぅばだった。
 それに、帰宅すると両親や隣人らは、皆んなしまくとぅばである。おまけにしたたかな貧乏だったので、農作業のユイマールに手伝いに行くと誰も標準語=共通語を使わない。自然にしまくとぅばが不自由なく使えるようになった。
 私は、ウチナー民謡の「島うた」、琉歌、ウチナー狂歌、ウチナー芝居も大好きだ。

 今日(9月18日)の沖縄タイムス朝刊社説は、一面に「忘(わし)んなよ『沖縄ぬ肝心(ちむぐくる)』」と題し、五面に同じ内容の「深く掘れ『文化の基層』」と題するヤマトグゥチ社説を掲載している。全く異例の事だが心から共鳴し、拍手を送りたい。
 シタイヒヤー リカチャンヤー。リキトーンドー。

 しまくとぅばとは、琉球諸島の諸言語である。最近、学校現場や社会のあらゆる場でしまくとぅばの講座、講演が盛んである。しまくとぅばは代々正しく継承発展させねばならない。
 沖縄が独立を達成した時は、しまくとぅばを公用語にしよう。私も国会質問でしまくとぅばを使用する事がある。しまくとぅばでないとウチナーのワジワジーや哀しみを表現できないのだ。いつの日か、国会で最初から最後までしまくとぅばで話し、総理大臣や各大臣らを「どぅまんぐゎして」みたい。

9月18日 10時00分  

Posted by terukan at 10:04

【憲法コラム】緊急事態条項と軍隊・戦争

2013年09月17日



 「異常事態」「非常事態」「緊急事態」の概念は、似ているようでもあるが、政治論・憲法論で厳密に考えると、違う概念と捉えねばいかないのだろう。

 さて、米軍機が受忍限度をはるかに超えた「殺人的爆音」を撒き散らし、欠陥機オスプレイが頭上を飛び交い、戦闘機や大型ヘリが幾度となく墜落炎上し、駐留する米軍人・軍属らの凶悪卑劣な事件・事故等が頻発する沖縄の日常は、間違いなく「異常事態」である。

 「非常事態」を、《通常ではとうてい律することが出来ない様子》《平穏な市民生活の夢を破る予測不能の出来事》と考えた場合、「沖縄の日常」は、間違いなく「非常事態」でもある。私は、被害妄想や大袈裟に言っているのではない。多くの県民の素直な思いだ。ウチナーとウチナーンチュには、日本国憲法の平和的生存権は保障されていないのだ。

 一方の、「緊急事態」とは、市民生活レベルを超えた、国家の存立がかかわる、または国際的危機に面した事態である。今回は、自民党「日本国憲法改正草案」が第9章「緊急事態」を新設しているので、敢えて「非常事態」と「緊急事態」を区別して、「緊急事態」について考えてみた。(私が衆議院憲法審査会の委員の頃、改憲派議員からは「非常事態条項」の追加とか「緊急事態条項」の追加などと、主張されていた。)

 私の乏しい知識、あるいは勘違いなのかも知れないが、改憲のうえ「緊急事態条項」を新設挿入すべきとの改憲派国会議員らの主張は、2011年3月11日の東日本大震災以降に強まったように思う。「3・11の大震災と福島第一原発事故」の未曾有の被害を機会に憲法に「緊急事態条項」を新設することが声高に叫ばれ、一定の改憲への支持を広げているのでは、と考えるのである。

 憲法論的に言うと、「緊急事態」とは戦争のことを意味する。たしかに、現行日本国憲法には「緊急事態条項」の規定はない。わが国は、憲法第9条で軍隊を保持せず、交戦権を否認し、戦争をしない国と宣言しているのであるから、憲法上「緊急事態条項」の規定がないのだ。逆に、軍隊を持ち、戦争をする「普通の国」は、憲法上「緊急事態条項」を持っている。

 自民党「日本国憲法改正草案」第98条は、「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」と定めている。その上で、同99条で緊急事態宣言の効果について、細かく規定している。特に、自民党「日本国憲法改正草案」第99条3項は、いわゆる緊急事態指示服従義務を国民に課しており、同条項は、立憲主義の精神に反し、国民の基本的人権を大きく制限するものであって、要警戒である。(是非、自民党「日本国憲法改正草案」第9章「緊急事態」を眼光紙背に徹して読み込んで頂きたい。いかに危険な改憲案かが一目瞭然だ。)

 ところで、大日本帝国憲法(明治憲法)にも、「緊急事態条項」の定めがあった。具体的には、明治憲法第8条で天皇は緊急勅令を発布する権限を有していた。勅令とは、天皇が発した法的効力のある命令のことである。明治憲法第14条は「戒厳」、第31条は「非常大権」、第70条は「緊急財政処分」を規定している。その明治憲法の「緊急事態条項」は時の権力者によって濫用され、人権と人としての尊厳を無視し、戦争への道を暴走する遠因となった。自民党「日本国憲法改正草案」の緊急事態条項は、明治憲法の緊急事態条項の焼き直しだ、と言ったら言いすぎか。そうではあるまい。

 「緊急事態条項」は、本来的に緊急事態への対処を理由として、全ての権力を内閣に集中させようというものである。その場合に、憲法の規律や国会のコントロールを逃れて、国民の基本的人権は大幅に制限されるのである。憲法の立憲主義の精神も容易に否定されることになりかねない。

 何よりも、私が自民党「日本国憲法改正草案」第98条の「緊急事態条項」で心配するのは、緊急事態宣言を行う状況として例示されている「内乱等」「地震等」などと概念自体のの曖昧さであり、「その他の法律で定める緊急事態」という、何が緊急事態なのかを法律で無制限に決められることである。

 先に、改憲派国会議員の多くから、「3・11大震災と福島第一原発事故」を契機にして、改憲のうえ「緊急事態条項」新設が叫ばれた、と書いたが、自然災害を憲法上の緊急事態と定める国はわずかであり、改憲派は自然災害対策を口実に、「天皇を元首に」「自衛隊を国防軍」にして、戦争への備えを進めようとしているのだ。騙されてはいけない。大災害の場合でも、現にある個別法を積極活用する事で、スピーディに被災者と被災地を守ることは可能なのだ。


 【自民党「日本国憲法改正草案」】 公開中 (PDFファイルが別ウィンドウで開きます)

(2013年9月17日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

再び原発全てが停止!

2013年09月16日

 国内で唯一稼働していた関西電力の大飯原発4号機が発電を止めて、9月15日 定期検査に入った。東京電力福島第1原発事故後の昨年5月~7月に続き、約1年2ヶ月ぶりに国内の商業用原発50基全てが停止をした。

 私は、全原発の停止を歓迎する。原発と人類の未来の共存はあり得ない。わが国は、原発に頼らない、自然エネルギー100%の社会を目指すべきだ。

 前回の全原発停止の夏にも電力不足が生ずると大騒ぎになったが、混乱は生じなかった。今冬も原発ゼロの内に迎えるが、心配はいらない。原発ゼロで電力不足が即生ずると宣伝するのは、原発再稼働を急ぐ方々だ。

 それに、東京電力福島第1原発の汚染水問題は未だに深刻で解決のメドさえ立っていない。にも関わらず、オリンピック招致に躍起の安倍総理は、汚染水問題が「コントロールされている」と国際社会に嘘をついた。そのツケは、必ずや2020年までに露呈するだろう。

 今日は「敬老の日」だ。超高齢化社会を迎え、人口減少社会到来のわが国に原発はいらない。自然エネルギー社会を急げ!

 9月16日
  

Posted by terukan at 17:52

県内9大学発出の声明を支持する

2013年09月14日

 沖縄県内に存する9大学の学長が、9月12日、「大学と周辺での米軍機飛行中止を求める声明」を発表した。
 私は、9大学長の声明を断固として支持する。

 県内の9大学長が連名で声明を発表するのは、2004年 沖国大への米軍ヘリ墜落炎上事故以来2度目である。日米両政府は、9大学長の声明を真剣に受け止めるべきだ。


13日付 地元二紙の記事

 9大学長は声明の中で、去る8月5日、キャンプ・ハンセンに米軍のHH60ヘリコプターが墜落炎上し、米兵1人が死亡、3人が負傷した事故について、「原因究明と安全対策の実施が米軍の裁量に委ねられている状況では、実効性が担保されない懸念がある」と指摘し、オスプレイの強行配備について、「(墜落事故の)危険性はより増大し、不安が募っている」と言及している。(9月13日付沖縄タイムス)

 2004年の沖国大への墜落炎上事故、去る8月5日のキャンプ・ハンセンでの墜落炎上事故は、多くの県民に恐怖を与え、生命、身体へ危険を及ぼす可能性の高い事故であったにも関わらず、日米地位協定の壁に阻まれて、事故原因の究明すらなされていない。

 9大学長の声明は、米軍機の騒音について、「授業、研究活動および学生生活に支障が生じていることは誠に遺憾の極み」と糾弾し、日米両政府に対し、大学敷地上空や隣接地域上空での米軍機飛行中止を求めている。

 9月14日  

Posted by terukan at 13:26

【憲法コラム】米軍政下で勝ち取った言論の自由と憲法21条

2013年09月13日



 米軍政下の沖縄で、言論・出版に対する弾圧の象徴的事件が、沖縄教職員会発行の『愛唱歌集』回収命令であり、沖縄人民党機関誌『人民文化』の発刊禁止であった。

 沖縄人民党は、1947年7月に故瀬長亀次郎氏(後に、立法院議員、那覇市長、共産党衆議院議員を歴任)らが中心になって組織された政党である。同党は、1973年10月、日本共産党と合流し、現在は日本共産党沖縄県委員会となった。

 故瀬長亀次郎氏は、「亀さん」「カメジロー」などと呼ばれ、多くのウチナーンチュから慕われ、愛された、米軍の圧政と弾圧に抗し、不屈に闘った偉大な沖縄の戦後政治家である。

 沖縄人民党の事実上の機関誌であった『人民文化』が、戦後初の群島政府知事選挙目前の1950年9月12日、米軍政府によって発刊禁止処分になった。発刊禁止の理由は、群島知事選挙の候補者であった故瀬長亀次郎氏が沖縄民政府の復興費の使途を追及した同誌への寄稿論文「復興費の行方」であったようだ(沖縄タイムス刊『沖縄大百科辞典』)。

 沖縄人民党は、機関誌『人民文化』の発刊禁止以来、機関紙の発行許可を7回申請し、全て拒否された。当時は、琉球政府が米軍の布令に基づいて出版物の許可権を持っていたが、米軍の指示、勧告、命令には従わざるを得なかった。

 沖縄人民党は、多くの県民の支援を得て、言論・出版の自由を勝ち取るべく闘った。その結果、1961年12月、8回目の機関紙発行不許可処分の取り消しを求める裁判で勝訴し、1962年1月23日、機関紙『人民』を創刊発行した。『人民』の発刊後も、米軍は印刷会社に圧力をかけ、執拗に妨害した。やむなく、沖縄人民党は党員、支持者の協力で、自前の印刷所(たしか、私の記憶で「あけぼの印刷」)を建設したのである。

 実は、私の亡父が沖縄人民党立法院議員で具志川市区(当時)選出の故久高将憲の熱烈な支持者であった関係で、高校生時代に小さな農村集落で、『人民』を20部位配布し、集金もしていた。前原高校生徒会長の時には、生徒会新聞を「あけぼの印刷」に頼んだ事もある。亡父は、人民党員ではないが、米軍支配を嫌い、農民運動に深い理解を示す、泡盛好きで寡黙な反骨の人だった。

 今年になって機関紙『人民』の裁判記録一式が元人民党幹部で原告の真栄田義晃氏宅で発見され、2013年6月2日、沖縄タイムスが大々的に報道した。

 機関紙『人民』の裁判記録発見に際し、門奈直樹立教大名誉教授(ジャーナリズム論)は、次のようなコメントを沖縄タイムスに寄せている。

 「『人民』事件裁判の結果、出版許可制は有名無実化し、その後廃止された。沖縄が言論の自由を勝ち取る過程で、最大の闘いだった。
 琉球政府の裁判官は占領下の当時、米軍という全能の支配者に毅然と立ち向かった。逆に今、独立国である日本の裁判官の方が米軍に遠慮して、爆音差し止め訴訟でも責任を追及しない。人権の普遍的価値に依拠せず、日米安保体制のあしき現状肯定に流れている。」――と。

 さて、日本国憲法第21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と定めている。

 一方、自民党「日本国憲法改正草案」第21条1項は、現行憲法と変わらないが、同条2項を新設し、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」と挿入規定する。

 言うまでもなく、集会や結社、言論や出版・表現の自由は、民主主義にとって必要不可欠な要素であり、基本的人権の中でも優先的地位を占める大切なものである。自民党が狙う改憲を許すと、米軍政下の沖縄のように、政府方針と違う表現活動は禁止されるであろう。米軍基地に反対する沖縄の集会やデモ、反原発、反TPPのデモも許されなくなるであろう。何よりも、政府や権力者を批判する言論、出版、表現行為としての文化・芸術活動までもが著しい制限を受けるであろうことは間違いない。自民党「日本国憲法改正草案」に基づく、憲法改悪を許してはならない。


2012年9月9日の「オスプレイ配備反対県民大会」から1年を迎え、沖縄地元紙は特集を組んだ。

(2013年9月13日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

金大中元韓国大統領夫人との面談

2013年09月12日

 9月9日から9月11日まで、久しぶりにソウルを訪問した。訪問の主たる目的は、韓国で長年国会議員を務め、大統領選挙にも立候補した事もある権 永吉(クォン・ヨンギル)氏が理事長を務める「権永吉と共に良くする生活と世の中」の社団法人出帆式への参加であった。

 今回は、初めて金大中元大統領の李姫鎬(イ・ヒホ)夫人との面談が実現した。ソウル市内のご自宅に案内を受け、短時間ながら秘書官らを交え、親しく歓談する機会を得た。



 

 私が弁護士登録をした翌年の1973年8月8日、金大中氏が東京のホテルグランドパレスから韓国中央情報部(KCIA)によって拉致された。その拉致事件が沖縄でも報道され、私は市民団体の仲間と嘉手納基地第2ゲート前で抗議集会を開き、一日も早い救出を呼びかけた。
 その時に一緒に声を挙げたのが、現社民党県連書記長の新田宜明県議である。当時は、二人とも政治家になるとは夢にも思わず、一市民として金 大中氏救出行動に立ち上がったのである。
(2006年7月26日 韓国政府は金大中氏拉致事件が、KCIAの組織的犯行であったことを認めた。)

 金大中氏は、1971年の大統領選挙で、現職大統領のパク・チョンヒに97万票差で敗れた。ところが、パク独裁政権は、民主主義回復を求める金大中氏に危機感を抱き、大統領選挙後、金大中氏の乗る車に大型トラックを突っ込み3人が死亡、金大中氏も腰と股関節を負傷した。KCIAによる交通事故を装った暗殺工作であった。

 東京のホテルグランドパレスで拉致された金大中氏は、5日後に自宅前で釈放された。その際の記者会見で語った言葉が「暗闇の中でも、尚、明日の日の出を信じ、地獄の中でも、尚、神の存在を疑わない」である。
 獄中生活6年、10年以上の自宅軟禁と亡命生活を強いられた金大中氏は後に大統領となり、1998年1月8日、日本の国会で「和解と共存への道」と題する歴史的演説を行った。
 私も1995年7月に参議院議員に当選しており、議場で臨場感を持って演説を聞いた。

 今回、初めて直にお会いした李姫鎬さんは、数え年92歳ながらとてもお元気であった。毎週火曜日は、夫・金大中氏のお墓参りを欠かさない、と聞いた。お家の玄関には未だに「金大中」「李姫鎬」の表札が掲げられていた。

 びっくりしたのは、花が好きだったという自宅庭に、サルスベリの赤い花が咲いていたことだ。偶然、我が家の小さな庭にも一本のサルスベリの樹があり、赤い花を咲かせている。

 李姫鎬さんからは、金大中氏がデザインしたという一本のネクタイを贈られた。臨時国会ではこのネクタイを締めて頑張ろう。

 9月12日

  

Posted by terukan at 13:52

オスプレイ配備反対県民大会から1年・・・・新たな闘いの構築を!

2013年09月09日

 県内の超党派で欠陥機オスプレイ強行配備に反対した「9・9県民大会」から今日で満1年の節目を迎えた。「9・9県民大会」には、10万人余の県民が世代を超えて結集し、沖縄の強い怒りを示した。

 その後、今年1月には県民大会実行委員会団体代表、県内41全市町村長、議会議長、超党派県議団らが上京し、安倍総理に建白書を提出した。ところが、安倍内閣は、建白書に示された沖縄の怒り、欠陥機オスプレイ墜落の不安や恐怖、強行配備や訓練強行反対の声を一切無視し続けている。

 安倍内閣をはじめ歴代内閣は、アメリカに追随し、沖縄を差別し、基地負担と犠牲を強要して居直っている。口先だけ沖縄の負担軽減を言うが、本気ではない。

 しかも、この1年間にオスプレイは普天間基地に追加配備された。先月下旬には普天間基地に配備された同型機のオスプレイが米西部ネバダ州で墜落炎上した。8月5日には、キャンプ・ハンセン内に嘉手納基地所属のHH60ヘリが墜落炎上し、米兵が死傷した。

 そして、9月7日に来沖した小野寺防衛大臣は、オスプレイの訓練を高知県、滋賀県で実施すると発表した。この小野寺防衛大臣の発表をもって、沖縄の基地負担が軽減されると思っている県民はいない。ゴマ化しだ。

 普天間基地配備のオスプレイを部隊ごと本土へ移転するなら大いに歓迎だ。だが、年にわずか2~3日訓練を移転しても本質的解決には程遠い。ペテン、パフォーマンスの負担軽減だ。

 「9・9県民大会」から1年。沖縄は怒りを持続し、新たな県民ぐるみの闘いの構築が始まっている。超党派の運動継続による米政府への直訴行動、国連人権理事会への要請、普天間基地へ向けた非暴力の直接抵抗闘争など沖縄の怒りの闘いは続いている。

  9月9日 9時45分  

Posted by terukan at 09:46

【憲法コラム】自民党「日本国憲法改正草案」前文を採点する

2013年09月09日



 憲法前文は「グリコのおまけ」のような存在ではない。憲法の三大原則(国民主権、平和主義、基本的人権尊重)と根本理念を条文と一体となって形成している全体の一部であり、前文と本文(各条文)は不可分な一体をなしている。

 自民党などの改(壊)憲派国会議員の多くは、口を揃えて、憲法前文を「全体が翻訳調でつづられており、日本語として違和感がある」、などと感覚的・非論理的批判を執拗に繰り返している。

 この夏に、塚田薫著、長峯信彦監修の『日本国憲法を口語訳してみたら』(幻冬舎)を読んだ。著者の塚田薫さんは、1989年生まれで、愛知大学法学部法律学科在籍中である。

 この本は、著者がインターネットの掲示板「2ちゃんねる」に「日本国憲法を口語訳してみた」というタイトルで書き込みを始め、マスコミで話題騒然となり、長峯信彦氏(愛知大学教授・憲法学)の監修を得て出版されたものである。

 先ずは、日本国憲法を広げて、その前文を確認したうえで、「日本国憲法を口語訳してみたら」の前文と対比して見よう。少し長いが、辛抱して読んで下さい。

 「俺たちはちゃんとみんなで選んだトップを通じて、俺たちと俺たちのガキと、そのまたガキのために、世界中の人たちと仲よくして、みんなが好きなことをできるようにするよ。
 また戦争みたいなひどいことを起こさないって決めて、国の主権は国民にあることを、声を大にしていうぜ。それがこの憲法だ。
 そもそも政治っていうのは、俺たちがよぉく考えて選んだ人を政治家として信頼して力を与えているもので、本質的に俺たちのものなんだ。あれだ、リンカーンのいった『人民の、人民による、人民の政治』ってやつ。
 この考え方は人類がみんな目標にするべき基本であって、この憲法はそれに従うよ。そんで、それに反するような法律とかは、いっさい認めないぜ。
 俺たちはやっぱり平和がいいと思うし、人間って本質的にはお互いにちゃんとうまくやっていけるようにできてると信じるから、同じように平和であってほしいと思う世界中の人たちを信頼するぜ。そのうえで俺たちはちゃんと生きていこうと決めたんだ。
 平和を守って、人を踏みにじって奴隷みたいな酷(ひど)い扱いをすることや、くだらない偏見や差別をなくそうとしている世界の中でちゃんと行動したいと思うのね。
 名誉ある地位っていうかさ、なんかそういうの、かっこいいじゃん。
 そのうえで声を大にしていうよ。
 『全世界の人は、みんな、なににも怯えることもなく、飢えることもなく、平和に生きる権利を持っている!』
 この理想は俺たちの国だけじゃなくて、ほかのどの国にも通用するもので、一人前の国でいたいと思うなら、これを守ることは各国の義務だよ。
 俺たちはここにかかげたことを、本気で目指すと誓う。誰に?
 俺たちの名誉と世界に!」

 次に、自民党「日本国憲法改正草案」の前文を引くことにする。

 「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」

 さて、読者諸氏よ、現行憲法前文と塚田薫口語訳を熟読吟味して、自民党「日本国憲法改正草案」前文の採点はいかがかな。一読しただけでお気づきでしょう。自民党「日本国憲法改正草案」からは、現行憲法の平和的生存権も消えた、憲法制定の目的が伝統や国家の継承になっており、「和を尊ぶ」「家族を助け合う」「天皇を戴く」などと、憲法に盛り込む必要のない、余計な御節介がテンコ盛りだ。そのうえ、過去の戦争への深い反省も不戦の誓いもない。権力制限規範としての立憲主義の匂いすら感じられない。「国民が主人公」の憲法から「国家が主人公」の憲法への変更である。私の採点では、現行憲法前文を全面的に書き替えた自民党「日本国憲法改正草案」前文は、0点だ。



(2013年9月9日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

【憲法コラム】婚外子相続差別は憲法違反

2013年09月05日



 2013年9月4日、最高裁判所大法廷は、結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を、法律上の夫婦の子(嫡出子)の半分とする民法の規定をめぐる裁判の決定で、「家族観が変わり、相続分を差別する根拠は失われており、法の下の平等を定めた憲法に違反する」との裁判官全員一致の画期的な判断を示した。

 最高裁判所が法律の規定を違憲とする判断を示したのは、戦後9例目で、民法では初めてである。今回の最高裁判所大法廷決定は、遅きに失した感は否めないが、憲法と民主主義の基本理念である「個人の尊厳」を最優先で守る司法の本来的役割に忠実な判断として賛意を表し、大歓迎したい。

 ご承知のように、民法第900条4号ただし書きは「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の2分の1とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする。」と規定している。

 民法のこの規定は、1898年に旧民法(明治民法)で設けられ、敗戦後1947年の民法改正でも引き継がれた、古色蒼然たる家族観に基づくものである。

 民法第900条4号ただし書きの婚外子相続差別を巡っては、事実婚やシングルマザーなど家族の多様化が急速に進む中で、生まれてくる子どもに選択の余地がない理由での差別は許されない、との指摘があり、この間裁判で争われてきた。ところが、最高裁判所は平成7年(1995年)7月5日、「非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1としたことは、法律婚の尊重と非嫡出子の保護との調整を図ったものであり、合理的理由のない差別とはいえず、憲法14条1項に反するとはいえない。」とする、合憲決定を下していた。

 1995年7月5日の最高裁判所大法廷決定が出た18日後の同年7月23日、私は初めて参議院議員に当選した。いらい今日まで、婚外子相続差別撤廃や選択的夫婦別姓導入の市民運動に加わってきた。法律婚を選択しない場合の差別は、法定相続分だけではなく、他にも「寡婦控除」など税法上の不利益(差別)も現にある。私は国際人権規約が定める「出生による一切の差別禁止」の立場である。

 さて、日本の多くの国会議員は、民法第900条4号ただし書きの改正について、伝統的な古い家族感に固執し、婚外子と嫡出子の相続分を平等にすると、一夫一婦制や法律婚主義が危機に瀕する、「不倫を助長する」などの理由で反対したのである。

 米疾病対策センター(CDC)や欧州連合(EU)の統計によると、2011年の婚外子の出生割合は米国が41%、フランス56%、英国47%、ドイツ34%、イタリア23%、事実婚と法律婚がほぼ同等に扱われるスウェーデンでは54%となっている。

 人口減少社会に突入した日本でも、婚外子の出生数は増えている。2011年の人口動態調査では婚外子の全出生数に対する割合は2.2%、2万3354人が生まれている。

 2013年9月5日付沖縄タイムスによると、沖縄の婚外子出生数は2010年701人で全出生数に対する割合は4.1%で全国の2.2%の約2倍と高い。だが、婚外子の割合の伸び率は、沖縄より全国平均が上回っているのだ。

 今回、婚外子相続差別は憲法違反との判断を示した最高裁判所決定は、「諸外国では60年代後半以降、婚外子と嫡出子の差別が撤廃された。現在、日本以外で差別を設けている国は欧米諸国にはなく、世界でも限られた状況だ。国連も本件規定を問題にして、懸念の表明や法改正の勧告などを繰り返してきた。」

 「父母が婚姻関係になかったという、子自らが選択や修正する余地のない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきである、という考えが確立されてきている。」などと判示している。

 さあー、最高裁判所の違憲決定を受けて、これ以上国会の怠慢は許されない。政府は、秋の臨時国会で民法の関連規定改正の動きに出てきた。大いに結構なことだ。この際、全ての国会議員が婚外子の尊厳、「出生による一切の差別禁止」の立場で、法定相続分以外の差別撤廃、多様な家族形態の選択可能性へ、と政治を進めなければなるまい。



(2013年9月5日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

東電の汚染水漏えいと政府の税金垂れ流し

2013年09月04日

 東京電力福島第1原発のタンクから放射能汚染水が大量に漏れ、海に流出したのは重大であり、東京電力の犯罪的行為に腹が立つ。
 タンクからの放射能汚染水漏れの主たる原因が、東京電力が低コストで工期も短い鋼板の接合部をボルトで締める「フランジ型」タンクに因るものと知って、東京電力の無責任さに驚き、あきれ、東京電力の責任者らを刑事訴追すべきと考えた。

 一方で、政府は汚染水漏れ対策に470億円もの国費(税金)を投入し、「政府一丸で解決に当たる」との基本方針を決めたようだ。
 しかも、その政府決定が2020年の夏季オリンピックの開催地決定を控え、国際社会の懸念を意識した政治的パフォーマンスの色合いが濃いとの新聞報道に接し、愕然とした。
 
 福島第1原発事故は未だに収束していない。廃炉の見通しもつかない。なのに、政府は原発再稼働と輸出を進めている。原発と人類の未来の共存などありえない。オリンピック誘致のための、パフォーマンスによる放射能汚染水漏れ対策など止めた方が良い。
 東京電力を救う必要はない。むしろ、根本的な国民の放射能汚染対策を早期に講ぜよ。

9月4日 16時5分  

Posted by terukan at 16:09

【憲法コラム】国民の憲法尊重義務と立憲主義

2013年09月04日



 今回は、大真面目に国民の憲法尊重義務と立憲主義について考えてみることにした。

 日本国憲法第99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と謳っている。この条文を、縦から読んでも、横から読んでも、国民に憲法尊重義務があるとは書いていない。日本国憲法第99条には国民に憲法を守れとは一切書いていないのである。

 当然だ。憲法の立憲主義は、国民が天皇、国務大臣、政治家らに「お前さんらは憲法を守れよ!」と義務付けて命令しているのである。その厳然たる事実は、立憲主義の憲法の本質であり、好き嫌いに関係なく、誰しもが否定することはできない。

 ところが、自民党の「日本国憲法改正草案」第102条第1項には、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と謳い、国民に憲法尊重義務を課しているのである。

 自民党の改正理由説明によれば、この規定は、飽くまで訓示規定であり、その内容は、「憲法の規定に敬意を払い、その実現に努力する」との意味合いで、具体的な効果がある訳ではありません、と丁寧さを装いつつも慇懃無礼だ。ここには、改憲派憲法学者の小林節教授が鋭く指摘する「自民党改憲派国会議員らの無教養の自由」の論理が貫かれている。(小林節+伊藤真著『自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!』合同出版)

 一方で、現行日本国憲法第99条で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明定しているのに対し、自民党「日本国憲法改正草案」第102条第2項では、天皇及び摂政らの憲法尊重擁護義務を削除している。何故だ?

 この際、はっきり言う。憲法尊重擁護義務があるのは、国会議員や国務大臣(安倍総理、お前さんもだぞ!)などの政治権力者であって、国民ではない。たとえ、訓示規定であっても、国民に憲法尊重擁護義務を課すのは間違いだ。明白に立憲主義を否定するものだと断罪せざるを得ない。

 他方で、「天皇又は摂政」を憲法尊重擁護義務者から削除した理由についても私なりに考えてみた。日本の天皇制国家に遅れてきた臣民としてのウチナーンチュの一人としては、大変に気になるところだからである。勿論、純粋に憲法論的にもだ。

 ここまで考えてきてハタと気づいた。自民党「日本国憲法改正草案」第1条は、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定し、象徴天皇制から天皇元首化へと改憲を目論んでいる。間違いなく自民党「日本国憲法改正草案」第1条と第102条第1項は密接に関連しているだろう。

 自民党の改憲派国会議員は、天皇に憲法尊重擁護義務を課すのは、畏(おそ)れ多い、天皇は元首として憲法の上位にある存在、憲法を超越する存在だと考えているようだ。要するに、元首たる天皇の神格化であり、その権威を高めて、天皇の政治利用を促進する狙いである事は間違いなかろう。私は、根拠もなく、大袈裟に言っているのではない。自民党「日本国憲法改正草案」前文は、「日本国は、天皇を戴く国家である」と規定しているのが、何よりの証左である。

 自民党「日本国憲法改正草案」は、国民に憲法尊重義務を課すだけではない。その他にも国民に国防義務、日の丸・君が代尊重義務、領土・資源確保義務、公益及び公の秩序服従義務、個人情報不当取得等禁止義務、家族助け合い義務、環境保全義務、地方自治負担分担義務、緊急事態指示服従義務など多くの義務を国民に課している。

 ご承知のように、現行日本国憲法には国民の三大義務が定められている。「子どもに普通教育を受けさせる義務」、「勤労の義務」、「納税の義務」である。ところがどっこい、自民党が目論む憲法改悪が実現すると、国民の三大義務どころか十大義務、いや、国民に対する義務規定のオンパレードとなる。「ナー、イチデージ」(一大事だ)。

 私が「護憲」の立場で、「壊憲」に反対する主な理由の一つが、「国民の憲法尊重義務」の規定新設である。



(2013年9月4日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム
このページの上へ▲