社民党

【PR】

  
Posted by TI-DA at

辺野古の美ら海を守れ!

2014年06月29日

 約10年ぶりに辺野古の美ら海を船上から見分した。もちろん、その間辺野古沿岸海浜での集会には何度も足を運んでいる。辺野古への新基地建設に反対するオジィ・オバァ達の座り込み闘争を応援するために、足繁く通ってきた。辺野古の海浜に行く度に、その美しい命の母なる海には絶句するほどの感動を覚えた。

 昨日(6月28日)は、ヘリ基地反対協議会の主催で、普天間飛行場の辺野古への移設(新基地建設)に反対する海上行動と集会があり、赤嶺衆議院議員、糸数参議院議員や山内前参議院議員、多くの県議会議員らと共に遊漁船「平和丸」に乗り込んで、海上から怒りのシュプレヒコールを大声で叫んだ。海浜に集う参加者らがそれに呼応した。





 政府は、7月2日にもキャンプシュワーブ沿岸の立入禁止制限水域を拡大する官報告示を行う予定だ。どうやら来月にもボーリング調査を始めるつもりで、事前予防弾圧(刑事特別法による逮捕)を目論んでのことのようだ。

 日米両政府は、沖縄県民の民意を無視し、国民の税金をムダに使い、今世紀最大の生態系と海の破壊を推進する魂胆だ。本当に許せない。怒り心頭だ。

 昨日の集会は、梅雨明けのウチナー独特の激しい日射しの中で行われ、参加団体代表や地元代表の嘉陽のオジィらから、国家権力の横暴に屈することなく勝利するまで反対運動を続けることを誓い合った。

 「6・28海底ボーリング調査反対集会」で採択された決議文には次のように宣言されていた。

 「・・・あらゆる権力と金力を用いて名護市民・沖縄県民の民意を徹底的に潰そうとする国家権力の横暴を看過することは、独裁政治と沖縄戦再現への道を追認することであり、私たちはこれを断固拒否する。」-とある。

 辺野古新基地建設へ向けての国家権力の横暴はすさまじい。だが、屈するわけにはいかない。闘いを継続するのみだ、

 6月29日



  

Posted by terukan at 11:00

【憲法コラム】「国体護持」の捨て石にされた沖縄戦の悲劇

2014年06月26日



 去る6月23日は、太平洋戦争末期の悲惨な沖縄戦における旧日本軍の組織的戦闘が終結して69年目の「慰霊の日」であった。旧日本軍の組織的戦闘が終結したのは6月22日である、との説もある。また、旧日本軍は6月23日以降も散発的に戦闘行為を繰り返したり、ウチナーンチュや強制連行した朝鮮人を虐殺した、との戦史を読んだ記憶も新しい。

 あの悲惨な沖縄戦で20万余の尊い命が失われた(奪われた!というべきか)。

 しかも、沖縄戦では軍人よりも民間人の犠牲者が圧倒的に多い。沖縄戦の実相の一つに、「軍民混在の戦場」が挙げられるが、軍人よりも民間人の犠牲者が多いのは、その何よりの証左であろう。そのうえ、旧日本軍は、壕やガマ(自然の洞窟や自然壕)に避難した住民を砲煙弾雨の中に追い出して、自分達が隠れたのである。

 やむなく、住民らは亀甲墓や門中墓に避難し、私と同じ昭和20年生の中には、お墓の中で生まれた者もいる。本島北部に避難する途中の馬小屋、山羊小屋で誕生した同年生も数多い。それらの事実をもって、沖縄戦の実相の一つである、いや、戦争の本質というべきか、「軍隊は住民を守らない」ことが明白となろう。

 69年前のイクサ(戦争)の実相を短い言葉で語り尽くすのは困難である。何年たっても不可能かも知れない。かろうじて生き残った者の中には、未だにあのイクサの体験と記憶を胸深く封印し、語る辛さに苦悩している方々が多いからである。心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しむ方々もいらっしゃる。

 「鉄の暴風」「ありったけの地獄を集めたような戦争」「集団自決(強制集団死)」「島くとぅば(沖縄の方言)を使用しただけでスパイ視して虐殺」など、悲惨な沖縄戦は結局

 「国体護持」のための捨て石であった、と多くの沖縄戦研究者が語っている。これが沖縄戦の真実である。

 なお、沖縄は40余りの有人離島から成る島嶼県であるが、沖縄戦では旧日本軍の軍事施設がある島や旧日本軍が駐屯する島だけがアメリカの攻撃に遭い、甚大な被害を受けている。これも沖縄戦(イクサ)の真実だ。軍隊や軍備の強化で平和が構築できる、との主張は沖縄戦(イクサ)の真実に反する真っ赤な嘘だ、と思う。

 さて、69年目の慰霊の日に「平成26年 沖縄全戦没者追悼式」が挙行された。私も式典に参加し、全ての戦没者に哀悼の誠を捧げ、不戦の誓いを新たにした。

 今年の式典には、安倍総理や外務・防衛の4大臣、衆参両院議長、ケネディ駐日米大使らが参列した。

 私自身のここ20数年の「慰霊の日」には、朝早くに家を出て、追悼式に参加する前に平和の礎に刻銘された義父に会いに行き、家族の一年の歩みを報告のうえ、ご加護をお願いし、沖縄と世界の恒久平和を祈っている。今年は、初めて長男一家と二男も参加し、親子3代の鎮魂の日となった。小4、小2、2歳の孫らにとっては、平和の礎に刻銘された義父(ひいおじいさん)との会話なき初対面であった。

 ところで、安倍総理は、全戦没者追悼式でのあいさつの中で、沖縄に集中する米軍基地に関し、「沖縄の方々の気持ちに寄り添い、できることは全て行う」と述べ、基地負担軽減に全力を尽くす姿勢を示した。

 だが、式典参列者の多くの遺族らは、安倍総理のあいさつを苦々しい思いで聞いたに違いない。安倍総理のあいさつ中、式典会場は静寂に包まれていたが、場外からは「集団的自衛権反対」「戦争やめろ」「帰れ!」の怒声も聞こえてきた。

 私も内心では、普天間基地の辺野古移設を強行し、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認の閣議決定を急いで、憲法9条と平和主義を破壊せんと躍起になっている人が、よくも「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」などと「正直な嘘」を平気でつくものだ、と思った。

 残念ながら安倍総理のあいさつには、沖縄戦の実相と教訓から学び、不戦の誓いを立てる、との思いは微塵も感じられなかった。白々しく、むなしく響く、無内容な官僚作成の作文朗読であった。まさに「感じ悲しむ能力の欠如」だ。

 それに比べると、公募で選ばれた石垣市立真喜良小学校3年の増田健琉(たける)君の平和の詩「空はつながっている」の朗読が万感胸に迫るものがあった。少し長いが全文紹介する。請う、熟読玩味を!


空はつながっている

石垣市立真喜良小学校3年 増田健琉(たける)


ぼくのお気に入りの場所
みどり色のしばふに
ごろんとねころぶと
そよそよとふく風がぼくをやさしくなでる
遠くでひびくアカショウビンの鳴き声
目の前ではお母さんやぎがやさしい目で
子やぎたちを見まもっている
青あおと広がるやさしい空

でも
遠くの空の下では
今でもせんそうをしている国があるんだって
ばくだんが次つぎとおとされ
なきさけびにげまわる人たち
学校にも行けない
友だちにも会えない
家族もばらばら
はい色のかなしい空

空はつながっているのに
どうしてかな
どこまでが平和で
どこからがせんそうなんだろう
どうしたら
せんそうのない
どこまでも続く青い空になれるのかな

せんそうは国と国のけんか
ぼくがお兄ちゃんと仲良くして
友だちみんなともきょう力して
お父さんとお母さんの言う事をきいて
先生の教えをしっかりまもる
そうしたら
せんそうがなくなるのかな
えがおとえがおが
遠くの空までつながるのかな
やさしい気もちが
平和の心が
丸い地球を
ぐるっと一周できるかな

まだ子どものぼく
いのる事しかできない
どうか
せかい中の子どもたちみんなが
学校に行けますように
友だちとあそべますように
にこにこわらって
家族でごはんが食べれますように
夜になったら
すてきなゆめが見れますように
しあわせでありますように
いつか友だちになれますように

白い雲
ぼくの平和のねがいをのせて
この地球をぐるっとまわって
青い空にそめてきて

きっと
せかいは手をつなぎ合える
青い空の下で話し合える
えがおとえがおでわかり合える
思いやりの心でつうじ合える
分け合う心でいたわり合える
平和をねがう心で地球はうるおえる

だから
ここに
こんなにきれいな花がさくんだ
だから
こんなに
ぼくの上に
青い空が広がっているんだ


 6月23日「慰霊の日」、義父の名が刻まれた礎の前で、孫たちと一緒に

(2014年6月26日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

6.23慰霊の日に不戦を誓う

2014年06月24日

 昨日(6月23日)は、沖縄線における日本軍の組織的戦闘行為が終結してから69年目の慰霊の日であった。(終結は6月22日だとする説や、それ以降も日本軍による住民虐殺があった、との記録もある)

 あの悲惨な沖縄戦で20万余の尊い命が奪われた。沖縄戦の悲劇は、その後のアメリカ軍支配の27年、そして復帰後の今日まで続いている。

 沖縄戦の実相を語る表現に「鉄の暴風」「軍民混在の戦場」「ありったけの地獄を集めたイクサ」などがある。もちろん、悲惨な沖縄戦の実相は、どんなに言葉を重ねても語り尽くすことは不可能だ。
 それほどまでに、戦争(イクサ)はむごい。かろうじて生き残った者も、未だに戦争の体験と消しがたい記憶に苦しんでいる。

 さて、昨日の沖縄県主催「平成26年 沖縄戦全戦没者追悼式」には、安倍総理や外務・防衛ら4大臣、衆・参両議長らが列席した。県民向けのパフォーマンンスに過ぎない。
 安倍総理は式辞で、米軍基地負担の軽減に触れつつ「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、できることはすべて行う」と述べたが、詭弁だ。普天間基地の辺野古移設を国家権力を総動員して強行しておきながら、「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」云々と平気で嘘をつく。全くあきれて言葉を失う。

 安倍政権は目下、与党間協議を加速し、近日中に集団的自衛権行使容認を閣議決定せんと急いでいる。
 憲法9条を実質無効化して、平和主義を破壊し、戦争ができる国づくりを積極推進する安倍総理に、悲惨な沖縄戦による20万余の御霊に祈る資格もなければ、平和を創造し、不戦の誓いを立てる気もさらさらない。

 言うまでもなく、沖縄戦は「国体護持のための捨石」であった。今度は、安倍流「積極的平和主義」の名の下、「国民のいのちと暮らしを守るために」集団的自衛権の行使で沖縄が戦場と化し、自衛隊と米軍が駐留する沖縄島が攻撃の標的にされるだろう。
 その時、自衛隊も米軍も住民のいのちは守らない。軍隊が守るのは、軍隊という組織そのものである。

 昨日の慰霊の日は終日、各慰霊祭や平和集会に参加した。不戦の誓いを新たにした一日だった。

6月24日 18:00


義父の名が刻まれた礎の前で、孫たちと一緒に

  

Posted by terukan at 18:07

【憲法コラム】自民党と公明党「下駄の雪」はどっちだ

2014年06月20日



 今日の憲法コラムのテーマは、単なる愚痴や揶揄で論ずるものではない。誤解なきように願いたい。

 「下駄の雪」とは、ご存じのように、「力のある者についていく者のこと」と辞書にはある。

 語源になったのは、「踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪」といった内容の都都逸(どどいつ)との説もあるが、詳しいことは承知してない。永田町界隈の単なる政治用語かも知れないのだ。

 かつて、歴史的な政権交代を経て、民主党、社民党、国民新党の三党連立政権が発足した。その直後から、どうせ社民党と国民新党は民主党の「下駄の雪」だと揶揄された事があった。だが、社民党は米軍普天間飛行場の辺野古移設問題で連立政権から毅然として離脱し、民主党の「下駄の雪」になることを拒否したのである。

 一方の国民新党は、「下駄の雪」であり続け、しまいには解党に追い込まれた(もちろん、筋を通して除名された者もおったことを記しておく)。

 さて、自民党と公明党、どっちがどっちの「下駄の雪」かを考える前に、集団的自衛権行使容認を巡る自公の与党協議について若干触れておこう。

 去る5月17日、公明党の支持母体である創価学会広報室が次のような見解を発表した。

 「私どもの集団的自衛権に関する基本的な考え方は、『保持するが行使できない』という、これまで積み上げられてきた憲法第9条についての政府見解を支持しています。

 したがって、集団的自衛権を限定的にせよ行使するという場合には、その重大性に鑑み、本来の手続きは、一内閣の閣僚だけによる決定ではなく、憲法改正手続きを経るべきであると思っております。

 集団的自衛権の問題に関しては、今後、国民を交えた、慎重の上にも慎重を期した議論によって、歴史の評価に耐えうる賢明な結論を出されることを望みます。」――と。

 私は、創価学会員でも公明党議員でもないが、報道で創価学会の見解に接した時は、密かに拍手喝采した。

 創価学会の見解発表に対する政府・自民党の反応は、素早かった。

 菅官房長官は、「与党協議や政府の閣議決定に影響はない」と語り、自民党石破幹事長も「政教分離だ。公明党の判断に主体性がなくなったとか、支持母体の言うがままだということはない」と記者に述べ、公明党を強く牽制した。

 一方で、巧妙な公明党への恫喝、圧力もあった。

 去る6月10日、飯島勲内閣官房参与がワシントンで講演し、公明党と支持母体の創価学会との関係について、憲法が定める「政教分離」の原則にあえて触れ、牽制する内容の発言をしたようだ。

 飯島氏は講演で、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認をめぐる自民・公明両党の対立にも触れ、こう言及したようだ。

 「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが、内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。」

 飯島氏は党と支持母体の関係は憲法の「政教分離の原則」に反しないとする政府見解を説明しつつ、こう続けた。

 「法制局の発言、答弁が一気に変われば、『政教一致』が出てきてもおかしくない」(6月12日付朝日新聞)。

 私は、創価学会に限らずどの宗派も、憲法第20条が定める「政教分離」の原則を厳守すべきと考える立場だ。

 一方で憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認を実現するために、法制局長官の首を恣意的にすげ替える安倍内閣は、「政教分離」の原則に関する政府答弁を変更して、公明党、創価学会を「政教一致」だとして攻撃することを平気でやるだろうと思った。

 飯島氏の講演は、与党協議の中で集団的自衛権の行使容認に対し、慎重姿勢を示し、徹底した議論を挑む公明党に対する露骨な圧力、言葉による威迫であり、揺さぶりである。

 前記朝日新聞の記事によると、ある公明党幹部は「レベルの低い挑発行為」だ、と反発の声を上げたらしい。私の独り言、「ヤサ ヤサ ヤンドー」(そうだ そうだ その通り)。

 自公連立政権下では、三党連立政権下で社民党が揶揄されたように、公明党は自民党の「下駄の雪」だ、と揶揄する者がいる。その一方で小選挙区制にあっては各選挙区での自民党の公明党依存は想像以上であることも動かぬ事実だ。公明党の協力がなければ、約7割位の自民党国会議員は落選してタダの人になる。その意味において、自民党が公明党の「下駄の雪」かも知れない。

 私は、「平和の党」公明党に期待したい。集団的自衛権行使容認を巡る与党協議で安易な妥協をして欲しくない。譲れないことは、譲ってはならない。自公連立政権からの離脱や独自路線の確立も視野に、自民党の「下駄の雪」になることを拒否して欲しい。

 その与党協議は、実質的な会期末となる6月20日現在、たったの8回しか行われていない。

 しかも、与党協議は非公開で行なわれ、会議後にマスコミ向けに発表される概要でしか国民は知らない。国会での与野党のオープンな議論は皆無に近い。

 「一強多弱」の国会、有効な野党共闘がつくれない無力状態の野党のやっかみで言うのでないが、この間の与党協議は先述した創価学会生命の「国民を交えた、慎重の上にも慎重を期した議論」にはほど遠い、と批判せざるを得ない。

 どうやら、集団的自衛権を巡る与党内合意と閣議決定は、今会期内は無理のようだ。だが、政府・自民党は閉会後も協議を続行し、7月4日を目途に閣議決定し、秋の臨時国会に関連法案を提出しようと目論んでいる。

 なぜ、そんなに急ぐのだ。この間の与党協議の中で政府、自民党は、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認の法的根拠を変えたり、憲法が禁じる「他国による武力行使との一体化」の判断基準として4条件を提示して、3日後には撤回したり、最近では集団的自衛権行使の「新3要件」案を示したりと、与党協議の論点が猫の目のようにくるくる変わる。日替わりメニューのようだ、と批判する人もいる。

 とにかく、公明党には「平和の党」として、憲法の平和主義と立憲主義を破壊する解釈改憲に反対し、初志を貫いてもらいたい。

 かく言う私は、与党協議に一喜一憂せず、国会内外の運動を大きくつくり上げ、閣議決定による集団的自衛権行使容認に断固として反対する決意をいっそう固めた。


 6月17日の与党協議(6月19日付東京新聞より)

(2014年6月20日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

石原環境大臣の「最後は金目でしょ」発言を許すな

2014年06月19日

 手元の辞書によると、「金目(かねめ)」とはお金に換算して、高い値になること、とある。
 東電福島第一原発事故の汚染度を保管する中間貯蔵施設の建設を巡り、石原環境大臣が「最後は金目でしょ」との暴言を吐いた事が最終晩国会で大きな問題に浮上してきた。

 私は、ブログで原発と沖縄米軍基地の同じ差別構造を再三再四指摘し、指弾してきた。
 去る1月19日の名護市長選挙で、自民党石破幹事長が新たな500億円の振興基金を突如持ち出して、辺野古新基地建設に反対する民意を公金で買収せんとした。
 このように、原発でも沖縄米軍基地でも、住民の気持ちは金目だけで片付くものだ、と政府・自民党は考えている。

 昨日、野党幹事長・国対委員長会談が急遽開かれた。
 全野党が意思一致して、19日参議院環境委員会、20日衆議院環境委員会で石原大臣の「最後は金目でしょ」暴言について質問で追及し、石原大臣に対する問責決議案や不信任決議案の提出も視野にその責任を問うことを決めた。

 とにかく、石原大臣の暴言で多くの原発被災者の心を傷つけたことは間違いない。
 石原大臣が「謝罪」をしたり、「撤回」することで簡単に許してはならない。石原大臣の自発的辞任か総理による「罷免」を強く求めるものである。

6月19日 11時05分  

Posted by terukan at 11:09

「戦争反対」「9条こわすな」集会とデモ、そして請願

2014年06月18日

 昨日(6月17日)、日比谷野外音楽堂で「閣議決定で『戦争をする国』にするな!6・17大集会」が開かれ、約5,000人(主催者発表)の市民が結集した。

 政府・自民党と公明党は、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認(解釈改憲)に向け、急ピッチで与党間協議を進めている。
 マスコミ各社も「会期内の20日」「7月上旬」の閣議決定か、と閣議決定の時期や与党協議の様子を大々的に報道している。

 昨夜は、日比谷集会後のデモと国会請願行動に立ち会った。衆議院の議員面会所前では、共産党・社民党の国会議員が応接した。
 請願デモ参加者は「戦争反対」「9条こわすな」のパネルを掲げてアピール、「閣議決定で『戦争する国』にするな!」との横断幕を掲げ、「閣議決定やめろ!」とシュプレヒコールを叫んでいた。

 請願デモ参加者の熱い思いは、私にもビンビン伝わってきた。参加者の中には、デモ隊列を離れて私に駆け寄り、「照屋さん頑張れ!社民党頑張れ!」と声を掛けてくださる方もいた。

 集団的自衛権の行使容認は、憲法9条だけでなく、憲法を丸ごと破壊するものである。「憲法のハイジャック」「憲法クーデター」に等しい。
 同時に、それは単に、わが国が戦争に巻き込まれる、というものではなく、他国への武力攻撃に参戦して、自衛隊員(改憲後は「国防軍」)が外国で人を殺すということだ。

 政府の命令で人を殺し、殺される「覚悟」を国民一人一人が迫られている。


6月17日午後8時半ごろ、衆議院議員面会所前

6月18日 10:00
  

Posted by terukan at 10:28

集団的自衛権は認めない!国会内外の闘い

2014年06月13日

 集団的自衛権の行使容認をめぐる与党間協議が急速化している。

 昨日の社民党HP「憲法コラム」と私のブログに「集団的自衛権行使容認は『正直な嘘つき』の詭弁」と題する一文を書き、最近与党内で議論されている「限定容認論」を強く批判した。(ぜひ、ご一読ください)

 昨日は、院内で私も役員をつとめる「立憲フォーラム」主催の「集団的自衛権を容認させない6・12院内集会」があり、講師としてお招きした孫崎享さん(元外務省国際情報局長)の「集団的自衛権と東アジアの安全保障」と題する講演を聞いた。
 同院内集会では、香山リカさん(精神科医)の発言もあった。一昨日から香山リカ著『弱者はもう救われないのか』(幻冬舎新書)を読んでいる最中だったこともあり、発言を心強く思った。


6月12日午後7時ごろ、日比谷野外音楽堂

 昨夜は「戦争をさせない1000人委員会」主催の「戦争をさせない全国署名6・12提出集会」(日比谷公園野外音楽堂)もあり、参加した。
 「1000人委員会」は同日、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に反対する175万6,368名分の署名を衆参両院議長宛てに提出している。
 日比谷集会には主催者発表で約3,000人が結集した。早急にもっともっと大きな国民運動を創り出さねばならない。
 
 自公の与党協議を経て、6月20日の閣議決定を許さないためにも!

6月13日 12:00
  

Posted by terukan at 12:10

【憲法コラム】集団的自衛権行使容認は「正直な嘘つき」の詭弁

2014年06月12日



 6月10日付の新聞各紙は、集団的自衛権の行使容認をする憲法解釈変更の閣議決定原案を一斉に報道している。

 憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認(解釈改憲)へと前のめり気味に暴走し続ける安倍総理は、今国会中(会期末は6月22日)の閣議決定を急ぐよう大号令を発している。安倍総理は、当初の「期限を付さない与党内の議論」発言を翻し、早期の与党協議決着と会期内の閣議決定を目指す方針へと急転換した。

 どうやら、改憲に執念を燃やす「慈悲深い独裁者」「本物のニセモノ」の安倍総理が、立憲主義を破壊する気分の高揚に酔ってしまったらしい。

 安倍総理の大号令を受けて、政府・自民党は、来る13日の与党協議で閣議決定の原案を示し、今国会会期中の閣議決定を目指す方針を明確にした。今のところ公明党は、閣議決定の原案の協議に入ることに難色を示している。

 6月10日の与党協議では、政府が集団的自衛権の行使容認が必要だとする8事例について、初めて本格的議論を展開したようだ。テレビ、新聞報道によると、個別的自衛権や警察権で対応できると主張する公明党と、集団的自衛権でなければ対応できないという自民党の主張は、激論のまま平行線を辿ったままである。

 このように与党内の議論も始まったばかりで生煮え状態だし、「熟議」の国会における議論も不十分だ。それでも安倍総理は、一気呵成に閣議決定に持ち込もうとしている。まさに「赤信号 そんなに急いで どこへ行く」だ。

 この憲法コラムを一気に書き上げ、推敲のうえ出稿直前の6月12日付朝刊各紙を読んで、一瞬迷っている。

 6月11日の党首討論で、安倍総理が今国会中の閣議決定を明言したのに対し、公明党は「まだ議論すべき点は多く残されている」と難色を示し、13日の与党協議の場で政府原案を配り、検討に入りたいとの自民党の申し入れを拒否した―との報道がある。(朝日新聞)

 一方、1972年の政府見解を援用して「国民の権利を根底から覆す」事態に限って、集団的自衛権の一部行使容認を公明党が認めた――との報道もある。(毎日新聞)

 私には報道の真偽は分からないが、閣議決定をめぐって自民党・公明党の攻防が激化していることは間違いないようだ。

 さて、主題の集団的自衛権行使の「限定容認論」を最初に言い出したのは、高村正彦自民党副総裁である。「安全保障法制の整備に関する与党協議会」の座長であり、弁護士でもある高村氏は、1959年の砂川事件最高裁判決を根拠に「最高裁は個別的、集団的の区別をせずに必要最小限度の自衛権を認めている」「日本国憲法は集団的自衛権を限定的に容認しており、その行使は憲法に反しない」などと持論を展開している。今や高村氏が主張する「限定容認論」は、自民党内だけでなく、改憲補完勢力の一部野党を含めて主流になっている感がある。

 私は、高村氏も一緒に出演した4月13日と6月8日の各党代表者らによるNHK「日曜討論」において、あらまし次のように述べて「限定容認論」を強く批判した。

 (1)砂川事件最高裁判決は、旧安保条約下で在日米軍駐留の合憲性を認定したもので、わが国の憲法上の集団的自衛権を認めたものではない。(2)集団的自衛権行使容認は、憲法9条を無効化するだけでなく、憲法を丸ごと破壊するものだ。ましてや、憲法解釈変更の閣議決定でそれをやるのは立憲主義に反する暴挙だ―と。

 他方、6月10日付の新聞各紙が報じた、前日の9日に判明したという集団的自衛権行使容認に関する閣議決定の政府原案の内容は、大概次のようなものになるらしい。

 (1)自民党から「行使容認の根拠」と主張があった砂川事件最高裁判決は、根拠として採用しない。(公明党からも砂川事件最高裁判決は個別的自衛権を認めたものだ、との批判があったことを考慮したか?)(2)1972年に田中角栄内閣が示した「(憲法は)自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を禁じていない」との政府見解を根拠とする――。

 これらの方針は、歴代政権が過去40年以上にわたって確立してきた「集団的自衛権の行使は認められない」との憲法9条の解釈を、安倍内閣の一方的な解釈でだけで変更し、行使容認へと踏み出すものだ。

 私も閣議決定の政府原案報道に接して、早速1972年の政府見解を引っ張り出して読み直した。そのうえで、声を大にして結論を言う。1972年の政府見解を集団的自衛権行使容認の根拠にするのは大間違いだ!政府見解の意図的な曲解であり、詭弁そのものだ!

 なぜなら、1972年の政府見解は「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と結んでいるのである。

 6月11日付の毎日新聞社説でも「憲法解釈の一部をつまみ食いして都合よく解釈し直しており、理屈が通っていない」「政府見解を根拠としながら、結論だけを全く逆のものにひっくり返している」などと厳しく指摘している。

 私に言わせると、安倍総理や自民党及びその補完勢力の改憲論者らは「ユクサー」(嘘つき)だ。「憲法泥棒」だ。騙されてはいけない。

 そもそも、集団的自衛権の行使概念に「限定的」「必要最小限」「戦闘地域、非戦闘地域」などあり得ない。あるのは、自衛隊員が「地球の裏側」まで出かけ、米軍と一緒になって外国で人を殺し、殺される現実だけだ。

 「立憲デモクラシーの会」に集う学者らが声明を発表し、これらの概念を弄ぶ輩どもを「正直な嘘つき」との語義矛盾の表現で鋭く一刀両断する。痛快だねー。

 「慈悲深い圧政」を多くの国民に強いる「正直な嘘つき」の安倍総理や自民党の集団的自衛権行使容認の企みを許してはならない。


 2014年6月6日、衆議院安全保障委員会

(2014年6月12日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

平成の島ぐるみ闘争再燃なるか

2014年06月09日

 1950年代の米軍支配下の沖縄で実質的な土地(軍用地)買い上げ政策に反対する島ぐるみ闘争があった。

 発端は、1954年3月、当時の米国民政府が米軍用地料を10年分一括して支払うことを提示したことだった。
 これに対し、地主の質問を受けた立法院(今の県議会)は「土地を守る四原則」(①一括払い反対、②適正補償、③損害賠償、④新規接収反対)を決議した。
 1955年10月、米下院軍事委員会のプライス調査団が来沖し、調査後にプライス勧告を発表した。プライス勧告の内容は、軍用地料算定に譲歩があったものの、その他の「土地を守る四原則」は拒否する、というものだった。
 それに対して沖縄の住民が党派を超え、激しく抗議行動に決起したのが島ぐるみ闘争と呼ばれている。

 今、沖縄では「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」の結成が進められており、7月27日に結成大会が行なわれる予定だ。
 オスプレイ配備撤回と米軍普天間飛行場の閉鎖・返還、普天間飛行場の県内移設断念を求める平成の島ぐるみ闘争が壮大に創られようと具体的に動き出した。
 すでに大学教授、経済界、保革を超えた政治家、労働界、市民・平和団体の代表らが共同代表となり、島ぐるみ会議の準備会も発足した。

 一昨日(6月7日)は、県内の130人余の県議、市町村議らが結集し、島ぐるみ議員団会議も発足した。130人余の県議・市町村議らが結集して、2013年1月28日安倍総理宛に提出した「建白書」の実現を目指す島ぐるみの決起は画期的であり、高く評価したい。
 私共国会議員も、元・前国会議員を含めて島ぐるみ会議を創るべく、早速呼びかけていきたい。

6月9日 16時35分  

Posted by terukan at 16:36

秋の知事選に向け大きな動き

2014年06月06日

 11月の沖縄県知事選挙の候補者擁立に向け、大きな動きが出てきた。

 今日(6月6日)の沖縄タイムス一面トップは「翁長氏、出馬に前向き」「知事選『公明協力』条件に」の見出しだ。政治面「ニュース断面」では「翁長氏、県連共闘拒む」「自民 出馬阻止へ駆け引き」の見出しを付し、関連記事を掲載している。

 琉球新報も、一面トップは「県知事選 経済界有志、翁長氏擁立へ」「翁長氏『県に力尽くす』」「自民市議団要請 出馬明言避ける」との見出しだ。社会面では「翁長氏 地下強く握手」「『オール沖縄』に決意」との見出しで関連記事を大きく報じている。



 言わずもがな、「翁長氏」とは翁長雄志那覇市長のことである。
 今朝の地元二紙の報道記事は、那覇市議会の最大与党会派である自民党新風会市議団が昨日、翁長市長に知事選出馬を要請したことに関するものだ。
 予め、私もそのような情報には接していた。翁長市長から知事選出馬明言(回答)はなかったものの、県内政局に大きなインパクトを与えたのは間違いなかろう。

 他方、安倍政権や自民党本部・県連のいわゆる「翁長つぶし」も巧妙に進んでいるようだ。要請した新風会の入り崩し、県内保守系市町村長への圧力、経済界への圧力、公明党や革新政党との分断工作も露骨になりつつあるやに聞いている。

 対する社民党などの革新政党、県議会会派「県民ネット」、市民団体などは、知事選候補として翁長市長、高良鉄美琉大教授の二人に絞り込んで、選定作業を急いでいる。
 翁長市長は、仲井真知事の辺野古移設容認を強く批判しつつ、「オール沖縄」の枠組みを大切にする政治姿勢を鮮明にしている。

 一方で、翁長氏は自他ともに認める「保守」政治家だ。沖縄における自公共闘体制づくりの最大の貢献者、いわば生みの親でもある。
 その翁長氏が、果たして公明党の協力を得られるのか、公明党県本が辺野古移設反対の公約を貫けるか、経済界の翁長支援の輪は広がるのか―。秋の県知事選挙をめぐる政局から一瞬も目が離せない。
 私も県選出国会議員の一人として、社民党県連の同志と共に、表で裏で積極的に動き回るつもりでいる。

6月6日 9:30  

Posted by terukan at 11:23

【憲法コラム】若者を戦地に送らない。若者よ、戦地に行くな!武器を取るな!

2014年06月06日



 集団的自衛権の行使容認に向けた「安全保障法制の整備に関する与党協議会」が急ピッチに開催され、合意形成を急いでいる。

 テレビ、新聞などの主要メディアも、与党協議の模様は大きく報道するが、集団的自衛権行使容認に反対する野党や市民運動団体などの扱いは小さい。私のやっかみ、愚痴かも知れないが、集団的自衛権行使容認問題に関しては、政府権力のマスコミを利用した世論操作も巧妙に行われているように思われる。要注意、要警戒だ。

 さて、去る6月3日の「安全保障法制の整備に関する与党協議会」で、政府が自衛隊が多国籍軍に行なう後方支援活動に関する新たな基準を示し、自民、公明両党に国際協力における自衛隊の活動拡大に協力を求めたことがマスコミで一斉に報じられた。

 国際協力(PKO)における自衛隊の活動については、政府は従来から憲法9条に照らし、他国の「武力行使との一体化」は許されない、との立場を堅持してきた。

 ところが、今回政府が与党協議会に示した案は、従来の政府見解を反故にし、自衛隊が多国籍軍に行なう支援の大幅な緩和と拡大である。

 小泉内閣でイラク戦争後に自衛隊を派遣した際は、イラク特措法で戦闘が現に行なわれておらず、将来も行なわれない「非戦闘地域」を設定し、「戦闘地域」と区別して、「非戦闘地域」に限って後方支援を行なった。

 当時の国会論戦で、戦闘地域と非戦闘地域の区別を質された小泉総理が「自衛隊が行くところが非戦闘地域だ」と珍答弁されたことが、脳裏に新しい。ことほどさように、戦闘地域、非戦闘地域を厳密に確定するのは難しいのだ。

 政府は、6月3日の与党協議会で、国連安全保障理事会の決議に基づく多国籍軍への後方支援策として、従来の「非戦闘地域」という考え方を廃止することを提案している。

 「ナー イチデージナタン」(もう一大事になった)。

 与党協議の場における政府提案だと、自衛隊は「地球の裏側」だろうと、どこだろうと、戦地まで出かけ、戦闘行為を含むほとんどの武力行使ができることになる。私は、そのようなことに大反対だ。

 若者(自衛隊員も)を戦地に送ってはならない。若者よ、戦地に行くな。若者よ、武器を取るな。集団的自衛権行使で密接な関係のある国(軍事同盟国)、具体的にはアメリカと一緒になって戦争をやり、他国の人を殺してはいけない、殺されてもならない。

 6月3日の与党協議では、戦闘地域、非戦闘地域、後方地域という「地理的概念」を放棄し、次のような新たな4つの基準を示している。

① 支援する他国部隊が現に戦闘行為をしている
② 提供する物品・役務が戦闘行為に直接用いられる
③ 自衛隊の活動場所が他国の戦闘行為の現場
④ 後方支援が戦闘行為と密接に関係する

 ――以上4つの基準すべてに該当する場合以外は、自衛隊が後方支援できる、というのだ。

 与党協議の場で公明党・北側副代表が「武器・弾薬が足りている戦闘地域の他国軍に定期的に届けるのは許容されるか」と質したのに対し、政府は「そういうことだ。ただ、そうした運用は実際には考えていない」と答えている(6月4日付東京新聞)。

 だが、戦地において軍隊の運用は拡大し、軍隊は時に暴走することは、戦争の歴史が証明している。今回の政府提案を与党が了承し、合意すると、自衛隊と敵対する国との軍事衝突の可能性が高まることは間違いない。その結果、自衛隊員に死傷者が出たり、自衛隊員が敵を殺すことが現実となる。

 私は、わが国の国際平和支援活動を全否定するものではない。だが、わが国の国際平和支援活動は、あくまでも非軍事の民生支援・人道支援を基本に据えるべき、と考えるものである。

 自衛隊法第52条は、「服務の本旨」を次のように規定する。

 「隊員は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳繰を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、強い責任感をもつて専心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、もつて国民の負託にこたえることを期するものとする。」

 自衛隊法第53条は、「隊員は、防衛省令で定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。」と定めている。

 その宣誓文は、次の通りである。

 「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」――と。

 私は、先に当憲法コラムで、「9条が あるから入る 自衛隊」という川柳を紹介した。

 自衛隊入隊の際の宣誓文でも明らかなとおり、「日本国憲法及び法令を遵守」することを誓って入隊したのである。にもかかわらず、憲法9条に違反する集団的自衛権行使によって、戦地に派遣され、人を殺し、殺されることを政府が命じてはいけない。政府にそのような権限はない、と確信する。

 自衛隊法第52条が規定するように、「わが国の平和と独立を守る」のが自衛隊員の使命であって、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認(解釈改憲)で自衛隊員を米軍の傭兵にすることなどは絶対に認められない。

【追記】このコラムの入稿後、「武力行使との一体化」に関する「4つの基準」を、政 府が6月6日の与党協議会で撤回したとの速報が入った。自衛隊が行う支援の大幅な緩和 と拡大という本質は変わらないものと思料し、このコラムはそのまま掲載することとす る。新提案については詳報を待って改めて分析をしたい。


 2014年6月2日衆議院安全保障委員会・外務委員会連合審査会(集団的自衛権問題等の審議)

(2014年6月6日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)
  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム

【憲法コラム】憲法をハイジャックした犯人は何者だ?

2014年06月03日



 近頃、「安保法制懇」なるものがマスコミを賑わしている。「安保法制懇」の正式名称は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」という舌を噛みそうな長い名前だ。

 「安保法制懇」は、「我が国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増す中、それにふさわしい対応を可能とするよう安全保障の法的基盤を再構築する必要があるとの問題意識の下、集団的自衛権の問題を含めた、憲法との関係の整理につき研究を行うため」、内閣総理大臣の下に設置された私的諮問機関である。

 本コラムでは、この「安保法制懇」を便宜上、「安倍安保法制懇」と命名する。

 長らく歴史の記憶に残すため、「安倍安保法制懇」の構成員を列記する。

 岩間陽子(政策研究大学院大学教授)

 岡崎久彦(NPO法人岡崎研究所所長・理事長)

 葛西敬之(JR東海代表取締役名誉会長)

 北岡伸一(国際大学学長・政策研究大学院大学教授、座長代理)

 坂元一哉(大阪大学大学院教授)

 佐瀬昌盛(防衛大学校名誉教授)

 佐藤謙(元防衛事務次官)

 田中明彦(独立行政法人国際協力機構理事長)

 中西寛(京都大学大学院教授)

 西修(駒澤大学名誉教授・憲法学)

 西元徹也(元統合幕僚会議議長)

 細谷雄一(慶應義塾大学教授)

 村瀬信也(上智大学名誉教授)

 柳井俊二(元外務事務次官、座長)

以上14名であるが、全員が安倍総理のお友達であり、全員が集団的自衛権行使容認論者である。「安倍安保法制懇」の設置趣旨には、「集団的自衛権の問題を含めた、憲法との関係の整理につき研究を行うため」とあるが、憲法が専門の学者はたった1人しかおらない。

 そんな「安倍安保法制懇」に何の権威も正当性もなく、あるのは安倍総理が狙っている早期の憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認を、屁理屈をこねて、さも客観性、普遍性があるか如く装うためだけの組織なのだ。

 「安倍安保法制懇」の正体がバレバレになったのは、北岡伸一座長代理が報告書提出後の去る5月19日、自民党会合で語った次の発言である。

 「安保法制懇に正統性がないと(新聞に)書かれるが、首相の私的懇談会だから、そもそもあるわけがない」――と(正直でいいね!)。

 北岡氏は、安保法制懇のメンバーに集団的自衛権の行使に反対する人がいない、という報道についても「自分と意見の違う人を入れてどうするのか。日本のあしき平等主義だ」と強調し、「安全保障の専門家は集団的自衛権に反対の人はほとんどいない」と持論を展開したようだ(5月20日付朝日新聞)。持論を超えて独断と偏見だ。

 このように、北岡氏の発言は、身内の自民党会合とはいえ、傲岸不遜で鼻持ちならない。

 「安倍安保法制懇」のメンバー、報告書提出前後の北岡氏の発言等を総合するに、報告書の結論は、十分に推察できた。

 案の定、去る5月15日、「安倍安保法制懇」は、集団的自衛権行使容認の報告書を公表した。その直後の記者会見で、安倍総理が「基本的方向」を発表し、現在、武力攻撃に至らない侵害への対処(いわゆるグレーゾーン事態)4事例(3事例+参考事例)、国連PKOを含む国際協力等4事例、「武力の行使」に当たり得る活動8事例、合計15事例を中心に与党内協議をおこない、早期の閣議決定を急いでいる。

 この「安倍安保法制懇」に対抗する「国民安保法制懇」が去る5月28日に発足した。「対抗する」との表現は、いささか正確さを欠いたかも知れない。安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認(解釈改憲)に反対する懇談会、と見るのが正確であろう。

 公正・公平を期すために「国民安保法制懇」のメンバーを紹介しよう。

 愛敬浩二(名古屋大大学院教授・憲法)

 青井未帆(学習院大教授・憲法)

 伊勢崎賢治(東京外国語大大学院教授・平和構築・紛争予防)

 伊藤真(弁護士)

 大森政輔(元内閣法制局長官)

 小林節(慶応大学名誉教授・憲法)

 阪田雅裕(元内閣法制局長官)

 長谷部恭男(早稲田大学教授・憲法)

 樋口陽一(東京大学名誉教授)

 孫崎享(元外務省国際情報局長)

 最上敏樹(早稲田大学教授・国際法)

 柳沢協二(元内閣官房副長官補)

どうです、二つの安保法制懇のメンバーをご覧になって、どちらの安保法制懇が学問的、実務的な専門性に照らし、集団的自衛権問題について、公正で、憲法と国際法に関する真っ当な判断ができるか、読者の皆さんには一目瞭然だろうと思う。

 「国民安保法制懇」は、その設立宣言の末尾に次のように書き記している。

 「政府の恣意的な『解釈変更』によって、これまで憲法が禁止してきた集団的自衛権行使を可能にすることは、憲法が統治権力に課している縛りを政府自らが取り外すことに他ならず、立憲主義の破壊に等しい歴史的暴挙と言わざるを得ない。

 私たちは、主権者である国民としてこの暴挙を黙認することは到底できない。かかる立憲主義の破壊に抗うべく、憲法、国際法、安全保障などの分野の専門家、実務家が結集し、ここに『国民安保法制懇』を設立する。」

 「国民安保法制懇」の設立会見で、改憲派憲法学者の小林節氏は、次のように語っている。

 「憲法9条は少なくとも海外派兵を許していないのは動かせない事実だ。主権者の国民が憲法で権力者を管理するはずなのに、権力者が逆に憲法を変えて海外派兵に付き合いなさいというのは主客転倒。憲法のハイジャックだ。」

 大森政輔氏は、「安保法制懇の報告書は、首相の希望する方向にまず結論が先にあり、理由付けは牽強付会(けんきょうふかい)だ。」

 孫崎享氏は「(安倍政権が考える)集団的自衛権は基本的には米軍の傭兵(ようへい)になるシステムだ」――と(5月29日付東京新聞)。

 「憲法のハイジャック」、憲法に関する小林節教授の造語には、いつもながら軽い眩暈を覚えるが、言い得て妙だ。私流に言うと「憲法のクーデター」「憲法のテロ」だ。

 今年の夏には「国民安保法制懇」の報告書が出るという。期待して待とう。


 国民安保法制懇 設立記者会見

(2014年6月3日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)  

Posted by terukan at 00:00憲法コラム
このページの上へ▲