博治から 博治へ ―その8
2017年03月01日
去る2月24日、那覇地裁前の城岳公園で、4か月余の長期勾留が続いている沖縄平和運動センター山城博治議長ら3人の「即時釈放を求める大集会」(主催・同実行委員会)が開催された。
当日の沖縄地方は「ムドイ ビーサ」(寒の戻り)なのか、小雨がちらつく寒い日であった。私も集会に参加したが、厚着(防寒)をしておらず、寒さに震えていた。
悪天候にもかかわらず、集会は多くの参加者を得たようだ。沖縄タイムスは約2,000人、琉球新報は約800人が集まった、と翌日付の朝刊で報じている。

私は、集会前日の23日にも博治と接見している。その際の独居房における博治の近況については、同日付のブログに掲載してある。
24日の集会でも、独居房における博治の近況を話し、博治から多くの参加者へのメッセージも伝えた。(博治は、地元紙を丹念に読んでおり、集会があることも知っていた)
集会中、接見締め切り時間が迫っており、挨拶を早々に終えて拘置所へと急いだ。寒い日のせいか、脳梗塞の後遺症の右足の重さが増し、徒歩での移動に難渋した。
拘置所に入って接見が始まると、博治から開口一番、開催中の集会の様子を尋ねられた。私がすかさず「大成功だ」と告げると、博治の顔に笑みが浮かんだ。
私が集会挨拶で、独居房での近況、海上工事が再開した辺野古の闘争現場に居れない身を独居房で悔しがっていること、自身が不在でも皆で奮起することを望んでいること―など博治の心境を伝えたことを報告すると、感極まった表情に変わった。
さらに、集会に辺野古の名物オバー島袋文子さん(87歳)が車いすで参加していた、と報告すると、何度も涙を拭った。治からは「今日は寒かったでしょう。雨は・・・」などと参加者を気遣う言葉が繰り返された。
博治に「熱血漢の闘争現場責任者」という堅いイメージを抱く人もいるが、それは違う。私のブログで再三書き記しているように、博治は人一倍心の襞(ひだ)が細かいのだ。だからこそ、多くの仲間から信頼を得ている。
博治らの第一回公判も迫っている。初公判にそなえ、博治と弁護団との間で綿密な打ち合わせ、対策も進んでいる。お互いの信頼関係も厚い。
昨今、ヤマトから弁護士を選任追加したらどうか、との意見もあるようだが、24日の接見の折、博治に意思確認したところ、明確に否定した。博治の早期釈放を願う気持ちはありがたいが、博治の意思を尊重すべき、と私も思う。
ところで、24日の集会終了後、実行委員会代表らが裁判所に博治の即時釈放を求める決議文を手交しに行った際、集会参加者の一部が裁判所職員の制止を振り切って構内になだれ込んだ、との25日付地元2紙の報道を知って愕然とした。そのような行動は博治の意思に反するばかりか、釈放を求める動きにもマイナスにしかならない。
私は、すぐに関係者に連絡を取り、厳しく注意した。もちろん、博治らの早期釈放を願う強い衝動は理解できる。だからこそ、圧倒的多数の県民から理解され、支持される行動を求めたい。
なお、23日と24日の接見の折、博治からは、ミネラルウォーターの差し入れを希望すること、国語辞典、英和辞典の差し入れが妻から届いたこと、兄夫婦や名も知らぬ多くの皆さんによる裁判所前のサイレントアピールに感謝していること―などが告げられた。
博治との接見を重ねるにつれ、私のブログを読んだ方々やメディアの皆さんからの問い合わせも多くなった。
だが、道半ばだ。一日も早い釈放と接見禁止解除が実現するまで、国会内外での活動の合間に、博治との接見を続けていきたい。


3月1日 13:00
当日の沖縄地方は「ムドイ ビーサ」(寒の戻り)なのか、小雨がちらつく寒い日であった。私も集会に参加したが、厚着(防寒)をしておらず、寒さに震えていた。
悪天候にもかかわらず、集会は多くの参加者を得たようだ。沖縄タイムスは約2,000人、琉球新報は約800人が集まった、と翌日付の朝刊で報じている。
私は、集会前日の23日にも博治と接見している。その際の独居房における博治の近況については、同日付のブログに掲載してある。
24日の集会でも、独居房における博治の近況を話し、博治から多くの参加者へのメッセージも伝えた。(博治は、地元紙を丹念に読んでおり、集会があることも知っていた)
集会中、接見締め切り時間が迫っており、挨拶を早々に終えて拘置所へと急いだ。寒い日のせいか、脳梗塞の後遺症の右足の重さが増し、徒歩での移動に難渋した。
拘置所に入って接見が始まると、博治から開口一番、開催中の集会の様子を尋ねられた。私がすかさず「大成功だ」と告げると、博治の顔に笑みが浮かんだ。
私が集会挨拶で、独居房での近況、海上工事が再開した辺野古の闘争現場に居れない身を独居房で悔しがっていること、自身が不在でも皆で奮起することを望んでいること―など博治の心境を伝えたことを報告すると、感極まった表情に変わった。
さらに、集会に辺野古の名物オバー島袋文子さん(87歳)が車いすで参加していた、と報告すると、何度も涙を拭った。治からは「今日は寒かったでしょう。雨は・・・」などと参加者を気遣う言葉が繰り返された。
博治に「熱血漢の闘争現場責任者」という堅いイメージを抱く人もいるが、それは違う。私のブログで再三書き記しているように、博治は人一倍心の襞(ひだ)が細かいのだ。だからこそ、多くの仲間から信頼を得ている。
博治らの第一回公判も迫っている。初公判にそなえ、博治と弁護団との間で綿密な打ち合わせ、対策も進んでいる。お互いの信頼関係も厚い。
昨今、ヤマトから弁護士を選任追加したらどうか、との意見もあるようだが、24日の接見の折、博治に意思確認したところ、明確に否定した。博治の早期釈放を願う気持ちはありがたいが、博治の意思を尊重すべき、と私も思う。
ところで、24日の集会終了後、実行委員会代表らが裁判所に博治の即時釈放を求める決議文を手交しに行った際、集会参加者の一部が裁判所職員の制止を振り切って構内になだれ込んだ、との25日付地元2紙の報道を知って愕然とした。そのような行動は博治の意思に反するばかりか、釈放を求める動きにもマイナスにしかならない。
私は、すぐに関係者に連絡を取り、厳しく注意した。もちろん、博治らの早期釈放を願う強い衝動は理解できる。だからこそ、圧倒的多数の県民から理解され、支持される行動を求めたい。
なお、23日と24日の接見の折、博治からは、ミネラルウォーターの差し入れを希望すること、国語辞典、英和辞典の差し入れが妻から届いたこと、兄夫婦や名も知らぬ多くの皆さんによる裁判所前のサイレントアピールに感謝していること―などが告げられた。
博治との接見を重ねるにつれ、私のブログを読んだ方々やメディアの皆さんからの問い合わせも多くなった。
だが、道半ばだ。一日も早い釈放と接見禁止解除が実現するまで、国会内外での活動の合間に、博治との接見を続けていきたい。
3月1日 13:00
Posted by terukan at 13:24